シャープな歯磨き

ほんとうに変わらないものというのは、そうそうない。

老舗の味、伝統の技術などと、変わらないことを評されるようなものも、当人に話をきくと「時代に合わせて変えています」なんて語ったりする。

ご長寿といわれる、テレビの旅番組の企画・構成そのものにスポットを当てた放送を観たことがあるが、そこで言われていたことは「3割、新しい要素を入れる。あとは定番のもので構成する」というものだった。

「そうなんだぁ」と思いつつ、何かの役に立ったような覚えもないけれど、いつまでたっても頭に残っている。僕がこれを観たのは相当まえの話だ。

ロングセラーと言われるような商品のパッケージやロゴ、その中身の配合なんかも、今まで通りにそのものとして認識される範囲でちょっとずつ新しくされていたりする。

そうした短期的な更新を分析すると、その変動値はざっくり3割以内程度にとどめられているのかもしれない。

短期的な更新をいくつもとび越えてさかのぼってみると、ああこんなだったかぁとか、覚えている人はなつかしんだりもする。

連載が長期に渡る漫画の第1巻の作画なんかもおもしろい。絵がさだまっておらず、描き込みが入念だったりする。さかのぼるほどに、曲線や線そのものが多い傾向がある気がする。連載を経るほど、洗練されて線が淘汰され、シャープになるケースが多いように思う。

日々の生活の中での、人々の動きもそうした傾向があるかもしれない。僕なんかは、自分の歯磨きを相当シャープだと思っている。

歳をとって慣れるほどに、定まったリズムめいたものが生まれる。動きがブレない。短い範囲で見れば食事、入浴、就寝のリズム。週単位でみれば、働く日と休日のリズム。年単位でみれば、季節や暦のリズム。

定まったリズムがあると、周りと協調がしやすい。社会に出たり多くの人と関わるほど、そのメリットがあるかもしれない。孤独だとしても、自己管理に役立つだろう。

子供はまだリズムが一定しないから、協調しない。自由でいきあたりばったりで、奔放で本能的だ。寄り道もするし、未来なんて見ようとしない。目の前のもの全部が新しいのだから、当然である。

歳を経るほど、定番7割、模索3割、といった具合になっていくのかもしれない。寄り道は、いくつになっても楽しい。