虹の生産ライン

なにかを仕掛けられたり、やられたりすると、やり返したくなることがある。


暴力のやりあいだったら喧嘩だし、戦争にもなる。


いつも尽くしてくれたり優しくしてくれる人が大変そうな時は、こちらも支えてあげたくもなる。貸しや借りをつくるつもりで動いたんじゃないとしても、やはりもらったものはどこかでお返ししたくなるし、自分が差し出したものが別の機会に返ってくるのは嬉しい。


  誰かが発したものを真似したくなることもある。


ファッションのような、見た目のよそおいだったり、形式的なことだったり、やり方、手法的なことだったりする。


おもしろそうだとか、かっこいいとか、新しいな思うと、自分もやってみたくなる。自分自身もいつもおもしろいことをしていたいとか、美しくありたい、新しくしていたいという気持ちが、目新しいものの真似をさせるのだろうか。


そうしたものを人に広めることに快感があるようにも思えるし、最初に発した人への尊敬のあらわれでもあるかもしれない。


偉業に対しても、やはり尊敬の念をお返ししたくなるということだろうか。


あわよくばその偉業を成した主に伝わってほしいけれど、それがかなわなくても、別の人に伝えたり広めたりして、集団に対してはたらきかける行為をもって、自分が受けたものを還元しているのかもしれない。


食べたものは、出す。


摂食と排泄の道理。


インプットとアウトプット。


出たものはどこかに入る。


貯蔵される倉庫もあれば、


随時大なり小なりの加工をされ、ときにはそのまま受け流されて送り出されもする。


たくさんの人、モノ、場所が、お互い影響を与え合い、動いたり、保ったり、あらわれたり、いなくなったり。


人間ひとりひとりがそれぞれ、ひとつの工場、ひとつの会社のようなものでもある。


与えられたものを用い、入れたもの、インプットしたものを加工して、びっくりするような発明品を出せたらなぁ。


原色も、7つ集まれば虹になる。