霧の空中要塞

安定したリズムは、協調のために欠かせない。


リズムが一定だと進み具合の予測がしやすくて、他人と息を合わせた協働ができる。


人を振り回す人がいるとしたら、リズムが不安定なのかもしれない。


急ブレーキや急発進は、車体に負担が大きい。


乗っている人をハッとさせる。


効率も良くない。


風を読んで、助走に乗って、高く長いジャンプをする様子は、見ている方も気持ちが良い。


子供は走る。


10代もよく走る。


何のためかよくわからないけど走り続ける。


風を読むための経験を積み、


身体の力を高め、


身軽さとしがらみを引き換えながら、


走り続ける。


走っている大人はかっこいいか?


どこに向かうかまだ決めていない、


これからどこに向かうかの自由がある、未来がある優越感。


10代、若い世代が、大人を見るときの前提に、そんな霧や靄のような隔たりがある気がする。


いや、隔たりとは語弊がある。手を伸ばしても何もない。空を切るだけである。


誰かの指先に触れて、そのまた誰かの指先がつながっていく先に、途切れながら、たぐりながら、10代、20代、30代と過ごしていく先に、


視界が晴れる幻想を抱きながら進み続ける。


自分が切り裂いてきた空中だけが少しの間わずかに晴れて、過去の優越感のもろさ、幻を確かめながら、今この瞬間の事実に基づいて、築き上げる自分の空中要塞。


夢でも幻でもないものを求めて。