何かについて語ろうとする時。
「仮に~だとすると」なんて、前提をつけたりすることがある。
仮の前提をつけることで、論旨が間違っていたとしても言い逃れができる。
語る対象となる範囲が広すぎると、手に負えない。
だから範囲を限定したうえでとりかかると、ものごとが考えやすくなることがある。
そうして考えを進めていくことで、「仮の前提」が正しいかどうかを判断するための根拠が築かれていく。
話を始めないことには、 結論は得られない。
始まらない論に、結びはない。
正しいか間違っているかわからないことがたくさんある。
それらは、いずれにしても話を始めないと答えが得られない。
だから人は、あらゆる「枕ことば」みたいな前置きを駆使して、間違ってても攻撃しないでね、みたいに防御線を張ったうえで、話をし始めるのかもしれない。
正しいか間違っているかわからないことを検証するために始める話は、なにも他人を巻き込む必要がいつもあるわけではない。
自分ひとりで考えれば済むものも多い。
他人の意見を聞き入れるつもりがハナからないのに、他人を巻き込んで話をする人がいる。
それは対話ではなく、ただの独り言や嘆きのすれ違いだ。
その話、独りでやってくんないかな~みたいなことを思わせるタクシーの運転手の話を聞かされる、疲れて眠りたい乗客の気持ちを想像する。
僕はちっともタクシーに乗らないので、あくまで想像である。