狼少年の話を思い出す。
平常時にさも非常事態かのように触れ回っていると、
本当に非常事態のときに相手にしてもらえないという話である(僕のうろ覚えにより誤釈が含まれるかと思う)。
そんな騒ぐことじゃないじゃん。
ということで騒ぎたてる人がいる。
それ、まず自分でどうにかしようとしてみましたか?
と言いたくなるようなことを、真っ先に人のせいにしたがる人がいる。
自分で考えたり自分で対処しようとすることなく、雛鳥のように口を開けてぴぃぴぃと鳴いてみせる大人の姿を見て、その子どもにあたる世代は自分で餌を取れるようになるだろうか。
自分で飛び回るための翼があるのに、肥えすぎてしまってもはや自ら動くことがかなわない。
そんな状況が、社会問題なのかもしれない。
これ、このまま口を開けて餌を待つ生活を続けていたら、近い将来自分で飛び回れなくなるぞ。
そんなことに気づくことなく、時を過ごさせられてしまうまやかし。
与えられていると思わせておいて、実は搾取している。
助けているように見せて、実は能力を奪い、無力化している。
自分の翼で飛び回るほどにそうしたまやかしは見えてくるし、反対に転じれば加速度的に盲目となってしまう。
そんな現状があるように思う。
誤報ばかりの警報器は、ポンコツだ。
警報器としてそのまま活躍するには問題がある。
警報器に誤報をさせているものはなんだろう。
と、そう考えてみる。
うるさいから一刻も早く止めたい。
そう思う能力も、うるさい状況に慣れてしまうと失われはじめるから、気をつけなければならない。
気をつけ続けるためのしくみを作り、そのしくみの運用を見守り、状勢に合わせて見直しつづけること。
やるべきことは多く、尽きない。
だからこそ、協力したり役割分担をする。
分担したら任せっきりにしない。
任せっきりにして肥えてしまうのは、自分以外の何者でもない。
スリムでいることの価値を誇張し、あおり、ダイエット器具の販売やサービスで金儲けを図るような輩も必ず登場する。
つくづく抜け目なく、水は流れるものである。