深呼吸:ルーティン候補生

呼吸が浅くなっている時ほど、深呼吸のことを思い出すのが難しい。


忘れがちになってしまうのはなぜだろう。


うまくいくときは、自分の心とからだの要素が意識せずとも自然に協調している。


逆に、不調和を呈していると、考えること、思い出せることまであらゆる要素が足を引っ張りあい、もつれるようにして地面をのたうち回る。


これをある程度防いでくれる効果があるのが、ルーティンといわれるものかもしれない。


大事な局面を迎える前には、いつもお決まりのことをするというやつだ。


バッターが打席に立つ前に必ず一連の柔軟体操をしておくとか、想像が乏しくあまり例が思い浮かばないのであるが、重要と思われる局面、本番に対して、いつでもおこなえるような行動を関連づけたり、習慣づけしておくのである。


これをおこなうと、最悪の状態が絶好調とまではとてもならないが、少なくとも悪い状態がより悪くはならない。あわよくば、ちょっと良くなる。


深呼吸なんかはルーティン候補として良い例だけれど、冒頭に述べたように、不調を呈しているようなときほど、思い出しにくい。忘れてしまいがちになる。


そこで必要になってくるのが、習慣づけだ。


大事な本番のときだけ思い出そうとしても駄目なのだ。平常時から、いつもいつも呼吸に意識を向ける癖をつけておかねばならないのだと思う。


これは僕にとっても課題で、ふと自然に深呼吸のことを思い出すことができたようなときは、だいたいうまくいく。


なんだかふるわなかった、うわついていたなぁ、なんて歯がゆさが残るときは、深呼吸のひとつでもすればよかったと思い出すのは、必ず後になってからである。



自転車に乗ることをひとたび覚えた人は、特別に意識を割かなくても自然にバランスをとり、ハンドルに手を添え、ペダルを回す。


ピアニストは、曲を暗譜したところからが勝負の始まりである。


考えなくても何かをできるようにしておくことは、その先を考えたり、より意識を割いたりするための下地になるのではないかと思う。


地盤がゆるければ安心して住める家は建てられないし、ぬかるんだステージでは思うようなステップは踏めないだろう。


今日からでもできること。


何を始めるにしても、


まずは、深呼吸をひとつ。