無駄の価値

「手帳」が担う機能として、僕が日常的に利用する部分がiPhoneでまかなえてしまうため、僕は手帳を使っていない。


iPhoneが壊れたら見られなくなるし、電池が切れてもやはり使えなくなる。


一方、紙の束である手帳には電気がいらない。


電池切れもないし、丈夫だ。ビルの上から落としても、中身が見られなくなったりはしないと思う。丈夫だ。


破けたりはするかもしれないけど、破こうという意思を持って破かない限りにはそう簡単には破けない。やはり丈夫だ。


辞書編集者の物語「舟を編む」という作品をアニメで見たことがある。主人公が辞書に使われる紙を入念に選定するシーンがあり、「ヌメリ感」という言葉を使って、紙の指への吸い付きの良さを見定めていた。手帳においても、丈夫さ、吸い付きの良さ、インクの染み方など、あらゆる面から紙のひとつひとつ、入念に選ばれているのだろう。


電気を要せずに使うことができるのはいいところだ。


えもいわれぬ「かわいさ」さえ感じる。


手帳や辞書はもともと電気を使わないから、そのことが良さであるなんて、おかしな話でもある。


もともと電気を要するものが、電気を必要としなくなったら画期的だ。


例としてすぐに思いつくのは、水を注いで室内に置く加湿器だ。扇子や屏風、もしくは蜂の巣みたいな表面積を稼ぐ形状になっていて、水をよく吸う材質でできている。注いだ水がなくなるまでは、適度に蒸発し続けて湿度を保つというアイディア商品である。


これに関しては、湿度を適切に保つというしくみが必ずしも電気に頼らないと成立しないものでもない。自然界にもともと存在する法則みたいなものだし、それほど画期的なものとも思えない。思い浮かぶものが他になかったのが歯がゆいところである。


(電気を使うのが当たり前だったものが電気を使わなくなった、という事例があったらぜひとも教えていただきたい)


あったものをなくこと、省略することが快適さ、便利さにつながることがある。


コードレスはコードの省略を実現した例だ。掃除機も電話機もそうなった。最近では置くだけで充電ができるスマートフォンスタンド、なんてものもあるらしい。


そもそもコードがあったなんてことが滑稽にさえ思えてくる。その時点で技術的に至らないがために、しょうがなく存在しているものがあるかもしれない。そんな目で周囲を見て歩くのも面白い。


トリビア、なんて言葉が一時期流行ったことがある。無駄であれば無駄であるほど、美しいとされるのだ。絶対に何の役にも立っていない、というものを探すのは、案外難しいかもしれない。