Repeat & Tacet

今日はつらいなぁ。


調子が悪い。


そんな日もある。


休んだら楽になれるのだけれど、


自分の担ったことに対する責任感がそれをさせてくれない。


仕事だし、行かなくちゃ、と。


自分のいないところでコトが進む。


それが嫌なのかもしれない。


把握していたいのだろうと思う。



同僚の誰かが急に休んだりすることがある。


そういうとき、妙にやる気が出てくるようなことはないだろうか。


〇〇さんが弱ってるなら、自分が支えてやらなくちゃ!、と。


僕の通うのはちいさな職場なので、同僚がひとり休んだだけでも、それが傷病による急なことだったりすると、何か自然災害や大きな事故でも起こったかのような、ちょっとした「非常時感」みたいなものが漂う。


いつものように出勤したら、いつものメンバーが集まっていて、いつものように1日が過ぎていく。


繰り返すのが当たり前のような日常は、微妙なバランスの上に成り立っている。


それは人間のもつ理性、秩序に根ざすものなのかもしれない。


傷病、天災、人災と、いつ起こるかも分からないちょっとした変化によって、いとも簡単に揺さぶられてしまう。


人間も自然の一部でしかない。動植物界では際立ってユニークな知性を身に付けた、ちょっとした道具を手に入れた霊長類。そんなところである。



円周率は、同じ数列が循環することなく無限に続くのだという。部分的にかいつまんだときに、似通った現象(数列)がその歴史の中でいくつもの点に現れることはあるが、長く前後も含めて見てみると、やはり全く同じ現象(数列)が再び現れることはない。


そして決して循環することなく無限に続くということは、その数列の中にあらゆるパターンが含まれる、ということが理論的に言える。「0123456789」とか、「99999999」といった数列も、円周率の中に実際に現れるらしい。


どんなことも、起こり得ないことはない。



雲の形は、決して全く同じ模様がふたたび現れることはない。


これはうろこ雲だ、入道雲だ、笠雲だ、と、似通ったものを分類することは出来ても、すべてに渡って全く同一のものは決して現れない。


2度と同じものに巡り合うことがないからこそ、美しいのだという。


(これは昨日読んだ佐治晴夫さんの本の受け売りだ)


自分でも本当にそう思う。


1人として、同じ人間は現れない。


ところで、自分という微粒子ひとつがいなくなったり、誰かにとって変わられたりしても、うろこ雲や入道雲や笠雲が見られなくなるわけじゃない。


今日は休んで、そのぶん明日活躍すればいい。