ゆらぎの虹

やってみたくなるような思いつきによって、人生は進む。


これは実現したらすごい!やらずにはおれない!


という思いつきこそが、人を突き動かす力になる。


それに向かう道がどんなに険しくても、楽しくて、わくわくして、やる気が出ちゃう。


そんなアイディアこそが、人を一段高みに押し上げる。


本当の意味でのアイディアって、そういうものなのかもしれない。


今の時点では存在しないけれど、実現に向かっていくための指針となるもの。


すぐにありもので出来ちゃうようなことは、アイディアというよりはむしろ「解決策」とか「応急処置」に近い。


アイディアは人を成長させる。


僕は歌を作って歌う活動をしていて、新しい曲が浮かぶ瞬間ほど痛快なものはない。


思いついたものが、すでに自分や誰かによって作られたことのあるものから遠いほどに、その推進エネルギーは強くなる。


そうしたときほど、どうしてこんなものを自分が思いついたのだろうと毎度不思議な気持ちになり、思いついた経緯を必死で振り返ろうとするのだけれど、どこにそんなそぶりがあったのかは毎度わからない。


「思いつく明日の自分」を作るために、地道に毎日を過ごすのみである。


そうして「思いつく明日の自分づくり」が無意識へと溶け込み、「思いつこう」とする気持ち(焦り、不安)が凪いだところに立ち現れるもののなのかもしれない。


いかに「思いつこう」とせずに「思いつこうとし続けるか」という、なんともハッキリしない感じである。


この世は「ゆらぎ」というもので成り立っていて、ほとんど似通ったようにしか見えないわずかな差から、劇的に違った結果が立ち現れるようになっている。


雨上がりにふいに現れる虹も、美しさに息を飲むような雲も、何もないかのように見える空に現れては消えていく。


音楽では、「休符」も演奏のうちだ。


「何もしない」のと、「休む」のとは違う。


このわずかな差によって立ち現れる劇的な結果の違いもまた、ゆらぎそのものなのだろう。