酔うものたち〜酔狂者と乱気流〜

目指したい場所、辿り着きたい境地みたいなものがあるとしたら、今の自分がどのへんにいるのか知らなきゃならない。

自分がどこにいるのかもわからずに、どこかを目指すのは難しい。

ただ、現在地を知るために、あてずっぽうでもいいから動き出す必要がある。そんな場合もある。

迷子のままでは、どこにもいけない。

ここがどこかはわからなくても、居場所を築いて、地図を築いて…

自分の居場所と、目指したい場所との地理的な関係、距離感が見えてきたら、しめたものである。あとはどうやって辿り着くか、具体的な方法を揃えたり道のりを考えて、実行するだけである。

つまりは、自分の現在地を知ること、目指したい場所の所在地を知ることから道のりは見えてくる。

とてつもなく困難な道のりで、問題点の解決なしには辿り着く方法が見当たらない。そんなときもある。

目指したい場所が心に決まっていて、それを阻む具体的な壁が立ちはだかっているときなんかは、人は燃えるものだと思う。

どうにかこうにかして、この問題を解決してやろう。この障害をくつがえしてやろうと、エネルギーを集めては注ぎ込む。

(文字通り、燃えるのだ。)

何を解決したらよいのかが見えているからこそ、できることである。

あてもなく苦労するなんてことは、出来ないのかもしれない。

苦労だと思い込んでいたら、自分が迷子だっただけで、自分で作り出したまぼろしの苦労に酔っているだけかもしれない。

気持ちの良い酔いもあれば、どうしようもない酔いもある。

1日の苦労の末に迎えた晩に、酒に酔うのも自分に酔うのも良いだろう。

明日の道のりで車に酔うか、船に酔うか、乱気流に揺られる飛行機の中で内臓を持ち上げられる思いをするかもしれない。

酔わずにはいられない人もいるのだろうけど、ちっとも酔わない人もたくさんいる。

僕はどっちだろう。

(だいたいのことがらについて、僕はどっちつかずである。)