甲殻の層

あれこれ新しいことに手をだすことを、「変わること」ともいえるし、「変わらないこと」ともいえる。

新しいことを取り入れようとするのは、より良くなりたい、発展したいという気持ちの表れかもしれない。

そうやっていろんなことを次々取り入れるなかで、「あ、このことって前にもどこかで出会ったな」と、気づく。いろんなことに手をだすほどに、いろんなことに共通することってなんなのか、わかってくる。そのために、人はいろんなことに手をだすのかもしれない。

いろんなことに共通することをわかろうとするのは、「変わらないもの」を知ろうとすることなのかもしれない。

そのときそのときによって、手を変え足を変え、本質に覆い被さった見てくれは違うかもしれない。

その「見てくれ」に注目していえば、あれこれ新しいことに手をだすことは、「変わり続けること」でもある。

ひとたびまとった「見てくれ」は、蓄積する。

その上からまた新しいかぶりものをするからだ。

ぼくらはみんな、歴代の「かぶりもの」の集合体だ。

中心に近づくほど、古い時代のかぶりものを成していた層がある。

変わらずにそこにあるともいえるし、外気との隔たりが広がったり、ぼくらの体温と長く接するなかで変質することもあるだろう。

高校や大学の学園祭で、ぼくはさんざん「はりぼて」を作った。

とても楽しい作業だった。

たくさんの人がいる社会のなかでも、ぼくはわりかし「はりぼて」に多く接しているほうかもしれない。

広げた新聞紙を、小麦粉を溶かして熱した液体に浸す。ぴたりぺたり、のっぺりと貼り重ね、骨組みが次第に甲殻をまとっていく。

はりぼてのなかは、からっぽだ。

短期間につくって、つぶしてしまう。