心にかよう血

人の目にふれる場所でべたべたしているカップルを見ると、なんとなく別れるだろうなぁと思って目をそらす。


ああいう人たちがどんな未来をたどるのか、統計をとったデータでもあったらおもしろい。


公の場所でもべたべたしているくらいだから、人目にふれないところでもずっとべたべたしているんだろうか。それでは距離感のバランスに欠ける気がする。人間関係のメリハリがない。そんな想起によって、なんとなく「別れるだろうなぁ~」と思わせる力が、「公共スペースべたべたカップル」にはあるようだ。


先が見えてしまうと、おもしろくない。


経路も目的地も決めない散歩では、なんとなくどうなるか想像のつかない道を選んで進もうとする自分の指針に気づく。


その先に思わぬ光景が広がったりすると、今日の散歩は良かったなぁと思えるものになる。


(今日の散歩はダメだった、と実感したような経験も特にないが)


何度も通っている道は、同じ視点で見続けては飽きる。


しかし、ちょっと角度を変えただけでこうも違うものかと驚かされることは多い。


1度通ったり訪れたりしただけで知った気になるのはソンかもしれない。


例のカップルたちも、短い期間、集中的にべたべたしただけで相手の何が見えたというのだろう。


距離が近すぎると全体が何も見えないのは、人間関係においても同じである。


結婚したりして物理的に近い生活圏を共有しているようなカップルほど、独立した視点を持ってお互いを認識しているのではないか。


向き合ったり、同じ方向を目指したり、生きていくためのエネルギー源をシェアするところに、共同関係が保たれる。


もしくは、保つためにエネルギーを消費しているともいえる。


エネルギーが注がれなくなった鎖は解かれ、離れて散っていく。


目に見える形を成さなくなるだけ。


それだけのことに心血を注ぐ、僕らの毎日である。