さかさまのアメーバ

明日どこにいるかくらいはわかっても、その積み重ねの先にどこにいるかはわからない。

きょうできないことを、少しずつできるようにしていく。わからないことを、少しずつわかるようにしていく。30分、1時間の取り組みでも、その積み重ねは確実に人を変える。

楽器や歌唱の演奏技術なんかは、まさしくそれに尽きる。

譜面を1小節ずつ読み明かしながら、半分以下のスピードから始め、ゆっくり徐々にテンポを上げて、問題のある箇所はそこだけを何度でも洗いざらいふやかすように、やわらかくなるまで揉んでは伸ばしを繰り返し、身体になじませる。

30分でも1時間でもそれを毎日積み重ねるうちに、初めてその楽曲に対峙したときにはできなかった表現が出来るようになっている。

僕は自分で作った曲を自分で歌い、色んな楽器で演奏したりもする。新しい曲に新しい楽器で取り組み始めるそのたびに、素人の僕の誕生だ。何回この世に生まれれば気がすむのだろう。生まれるために生きている。

なんかへんてこなようでもあるけれど、昨日の僕は決して今日の僕と同じじゃない。今日の僕は、かならず明日には変わっている。

生きながらえながら、毎日繰り返し生まれ続ける人のあつまりで、色んな単位の集団が形成される。

たくさんの人、モノ、資源がたえず動き、流れ、位置を変えながら、もぞもぞと地表を覆う様子は、さながら、アメーバ。

きのうは、さかさま。

きょうは、何柄。