眠りの原資

その人がどんな人か語られるとき、きっと起きて活動しているときのその人が語られるのだろうけど、眠っているときの人間にも多少の個性はあるかもしれない。

大の字だとかお腹をかかえているとか、いびきがうるさいとか、死んでるかのように静かだとか。

子どもはよく寝顔のかわいさを評される。天使だなんて言われて、人間から昇華されてしまうことも少なくない。

そうか。寝顔のかわいい子どもは眠ると人間じゃなくなるのか。寝ても覚めても人間でいたい子ども諸君は気をつけたまえ。僕も鋭意気をつけながらこれから毎晩眠ろう。天使なんかになってたまるか。

起きているあいだにどれだけのおこないができたかが、その人となる。

眠っているあいだのことは除かれて語られるなら、そういうことになる。

眠りは、いかに起きているあいだを健康に快適に過ごすかの原資なのだろう。

夢を創作に活かす芸術家は多い。

僕も人並みに、天才芸術家なみに夢をみることがある。すぐ思い出して経過を頭の中で振り返り、文やメモに残さないとだいたい忘れてしまう。夢日記というやつだ。

よく見る、似通った夢もある。

足が重く、まったく思うように動けない夢を僕はたまに見る。

逆に重力がなくなったかのようなとてつもない高さの跳躍ができ、ビルの屋上から屋上へと、自分の足で跳び回る夢も見る。

逃げ道の幅ギリギリの巨大な鉄球に追われる夢も昔はよく見た。大人になってほとんど見なくなった。

人を殺してしまい、遺体を隠そうとしたり、逃げ惑ったり、生きた心地がしない気持ちで過ごす夢も2、3度見た。眠っている状態が死に近いから生きた心地がしなかったのか。その状態で人の命を奪ったのだから、命が2重3重のいれこになって絡んでいるようである。

夢で見たことを芸術や創作に活かすにしても、眠りは起きているときの原資になるといえる。

Have a nice dream!なんて、ネイティヴの人は日常で言ったりするんだろうか。この国でおやすみ、は言っても、よい夢を、とはあまり言ったことのない僕である。

悪い夢の方が喜ぶ芸術家には、Bad dreamを祈ってやるべきか。それ自体がその芸術家にとってはBadではなくNiceだとするならば、余計なひねりを加える必要はない。

どなたも、よい眠りのひとときを過ごされますように。