じぶんの記憶と照合される快感。
ビートルズは、世界で最もコピーされているバンドかもしれない。
コピー元となるオリジナルの知名度が高いほど、観客にわかってもらえる率が高いから、コピーバンドをやる側としてもやりがいがあるかもしれない。
コピーバンドは、ものまね芸と通ずる部分があるように思う。
オリジナルが緻密に再現されているほどに、観客に喜ばれるだろう。
人は、自分の記憶にあるものと目の前で起きていることを照合し、その精度が高いほどに、快感を覚えるようである。
これはなぜだろう。
自分が持っている記憶がなぞられると、ああそうだ、こうだよ、自分は正しい、と思える。自己肯定感につながるのかもしれない。
自分の記憶や体験というのは、自分そのものだ。だから、それが目の前で再現されると、興味関心のセンサーが振れるのは自然なことといえる。自分のことのように思えるそれすなわち、親近感。
それでもなお、不思議でならない。生身の人間が、自分の知っているオリジナルの芸を再現する魅力というのはどうしてか。どうも、オリジナルそっくりであること以上の何か、人を惹きつける力があるように思える。
再現する人間があくまで別人であることも重要かもしれない。ご本人だったらコピーではない。メンバーが亡くなっていたりするとなおさら、2度と戻らないステージを仮想体験するような夢見心地が、コピーバンドの魅力に加味される。
あのときのあのバンドが、完全にあのときのままの姿でタイムマシーンに乗ってやってきたら、観客はコピーバンドとどっちが嬉しいだろう。
そんなことはありえないことはわかっている。
だからこそ、目の前の別人にオリジナルの魂が宿ったかのような奇跡に、人は感動して震えるのかもしれない。