同じ事実を伝えるのにも、言い方はさまざまある。
どれくらいのことが伝わるかも、言い表し方によって変わる。
「練習しました」
と、
「毎日6時間、練習しました」
と言ったとき、どちらも練習した事実を示している。
違いは、どれくらい練習したかという点についてである。
これを、
「たくさん練習しました」
と表現すると、どれくらいの量を「たくさん」とあらわしているかが、発する人と受ける人との間で違いが出てくる。
それ以前に、事実として発言者が毎日2時間練習していたとしても、発言者にとっては毎日6時間練習しないと「練習した」うちに入らないという認識がある場合、それを「練習しなかった」と言い表すことも考えられる。このとき、「練習の有無」という事実よりも、「練習量の不足という本人の実感」に焦点が当てられていることになる。
自分の感情に素直であることと、事実に対して素直であることとは、似ているようでまったく別のことなのかもしれない。
スポーツなどの結果、なにかの成果に対するインタビューで、勝利者や成功をおさめた人の受け答えから、本人の姿勢がみてとれる。
どんな普遍的な事実であっても、自分という媒体を通してのみ何かを発することができる。
感情も事実のうちかもしれない。
くれぐれも、事実に素直でありたい。