人が住んでいなかった場所に、住むようになる。
かつては海だった場所を埋め立てて、その上に人が進出する。
それくらい、陸地に人が溢れたということか。
人が住める場所が国じゅう探してもなくなったわけじゃないはずだ。
都市部に人口が集中して、都市から不便な地域は過疎化した。
これすべて、人口が増える一方だった時期の話。
いまはどうだろう。
これから、人口は減少する一方だと聞く。
かつての人口増加に合わせて増やした住居は、どんどん余る。
地方の住居を出て、都市につくられた新しい住居に住んだけどその人口も減るなら、地方も都市も空き家だらけになるはずだ。
海を埋めてまで居住空間を広げたのに。
人口が減ったら埋め立て地はどうなるのだろう。
それでも人気を保ち続ければ、人口が減る中でもどこかから人が集まる。
その出元となる「どこか」は廃れるわけで。
人が溢れる状況がなくなるのなら、さてどこに住もうかと選び放題になるかと思えば、そう簡単な話でもないだろう。
あらゆる人に住みよいと言われる地域に人気が集中すると思われる。
それから、人口に対して高い割合を占める高齢者たちに住みよい地域にも、人が集中するだろう。
こうした中、あえて地方に出ていく人もわずかながらいるようである。
地方の生活の不便さを、若さや体力、もしくはその他なにかしらの特殊な条件によってカバーできるという人にのみ与えられた選択肢かもしれない。
自治体の支援事業などによって、地方に人を集める工夫をおこなっているところもあると思うが、なにか事業をするとなれば人もお金も要る。もともと税収(体力)の少ない自治体は、困窮しているかもしれない。少ないお金で雇ったわずかな人員の、すぐれた発想に頼るしかないのか。もしくは、雇う必要のない、もともと地域に暮らす地元の人の発想力、行動力がその地域の運命を握るか。
人の厚い場所、薄い場所はかならず生まれる。
ほったらかしにして風に吹かせておけば、国じゅうにまんべんなく人が行き渡るなんてことは起こりえない。不自然な状態を実現させるのが、強い秩序の力といえる。そんな状態が、望まれるとも思えない。
人の集まりとすたれの現象が、人口全体は減少する中でも起こり続けるだろう。
「有効利用」という言葉が、すでに口癖のように毎日いたるところでささやかれる。
それだけ、「無効不要」があちこちにあるってこっちゃですね。