森博嗣さんという作家さんが僕はたいへん好きで、彼の小説やらエッセイやらビジネス書やらを何冊も読んでいる。
彼は小説を書くとき、タイトルをはじめに決めるらしい。それから書き始めるそうだ。
そのタイトル自体が、「おもしろい計画」といえる。書き進める中で、新たに発想し、登場人物が行動したり、物語が展開する。転がり進むといった感じだろうか。話や論旨の結びさえも、その発想に左右されるかもしれない。それでもすべてを統率し、ひと続きのまとまりを象徴するのは、はじめに決めた「タイトル」である。
人は営利目的の事業でも、個人の趣味研究であっても、「タイトル」みたいなものを決めて動き出す。それはときに具体的な計画だったり、達成のために掲げる目標だったりする。
大筋のそれに向かっていくなかで、現実にはさまざまなことが起こる。歩いている最中で雨が降ってくるかもしれないし、通るつもりだった道路が断りもなしに封鎖されていることだってある。思わぬ「おもしろい人やモノ」に出会って、寄り道するかもしれないし、そこを経由することでひと続きのまとまりの味わいがまったく違ったものになってくる。それらの状況判断や取捨選択といった「舵」にあたるものが、最初に決めた「タイトル」といえそうだ。
森博嗣さんはタイトルをはじめに決めてしまうそうだけど、やりながら決める人、終わってから命名する人、さまざまいるだろう。でも、人が動くことには変わりない。その行動の指針となる「舵取り」は、誰もがやっていることだと思う。タイトルをはじめに決めることは、帰着点を意識的に統率する目安なのかもしれない。
その時その時の欲望や妥協に流されてしまってなにも成さないのは、タイトルを考えようとすることの放棄といえる。
やりながら決めるにしても、やり終わってから決めるにしても、意識の底の方から天井までのどこかしらに「タイトルをどうしようか」という「問い」を掲げていて、最終的にはタイトルを決めることができる。それが、なにかを成すということだろう。
さて。
次のタイトル、なににする?