ヨイコラセ

こう刃物を研ぐ作業にしても、使うアテがあってこそ回り、転がっていくように思う。

研いだこのナイフでぷりっとした野菜を切って、あの人に食べてもらおう、と。

そうした具体的な到達点があると、刃物を研ぐ作業もいきいきしてくる。

僕の場合は音楽をやったりしていて、この本番の日を最高の1日にしたいと思ってやると、日々の練習も楽しくてしかたがない。そうした案件がいくつもあったりすると、ちょっとしたランナーズハイみたいな状態になる。

からだはひとつしかない。

たくさんのものごとに対峙するのに、そのからだが動ける状態にあるというだけで、それぞれのものごとに対して高いパフォーマンスを発揮できる。

人気の集中するプロの仕事の質が高まるのは、こうした相乗効果によるものなのだろう。

スピードに乗ってる自転車をさらに加速させるのはたやすい。

停まっている状態から漕ぎ出すのがたいへんなのだ。

そのはじめのたいへんな思いがいやで、ついつい怠惰の門をひとたび叩けば、いつまでもそこを出られない。

怠惰の先生は、来るもの拒まず。決して破門なんて言い渡しちゃぁくれません。

「ヨイコラセ」なんてかけ声で動き出せるものなら、いくらでもかけ声をしよう。かっこ悪くてもそのときだけだ。動き出せば原宿でも渋谷でも代官山でもどこでも行けるぞ。

僕はなんの話をしているのだろう。