冒険のエピローグ〜恍惚の家風呂〜

ひとりひとりが個別に、できなかったなにかを習得してきた。そうしたひとりひとりがあつまって、ひとつの集団をつくって動いていこうとすると、集団として初めてのことにひとつひとつ直面していくことになる。

自分が自転車に乗れるようになったときのことを思い出す。どこだったか、家の近所の空き地だったと思う。空き地という場所は厳密にはないので、きっと公園かなにかの一部だったと思うけど、こどもが自転車に乗れる程度の広さのある、学校のグラウンドのような砂地の場所だった。

補助輪を取り外して、ふらふらとよろめき、擦り傷を作った。初めて乗れた瞬間のことは覚えていない。達成感や爽快感があっただろうか。見守ってくれたのは、父だったように記憶している。父はどんな思いだったろうか。僕が覚えていないかわりに、強い感慨を受けていたんだろうか。

小学生のときも中学生のときも、高校へ行っても大学生になっても、僕はビュンビュンと自転車を飛ばすように乗ってきた。大学を卒業したあとは、公共交通機関を使って通勤した経験がない。ずっと自転車通勤してきた。

ふらっと、山梨県北杜市の小淵沢まで出かけたことがある。いつも乗っている、「軽快車」と呼ばれる種類のどこにでもある自転車を使って行った。(ご縁があってオマワリさんに頻繁に呼び止められる。「軽快車」という言葉を僕に教えてくれたのも、オマワリさんである)

出発地となる僕の自宅は西東京市だ。休みの日の午後にふと出かけたくなった。ひとまず高尾山を目指してみることにした。立川、日野、八王子のどこかを通り過ぎ、15時すぎに、高尾山付近の峠に行き当たった。50㎜以上の雨の時は封鎖されます、といった旨の標識が掲示されていて少々の威圧を感じながらも急坂(山の斜面)をトロトロと登った。心臓をやぶられることなく20分くらいかけただろうか、登りきったあとはひたすらに下った。これを爽快と言わずになにを爽快というべきか、他に見当たらないと思えるほどに、一度も自力でペダルを回すことなく自転車は峠を滑り降りた。その爽快感に意識が支配されているうちに、ぬらりと姿を見せたのは相模湖。小学生のとき釣りをしに来たときのことを思い出しつつ、そのときとはまったく違う景色を目の当たりにしながら、なんとなく行けるところまで行こうと思ったのだった。


それから北杜市小淵沢に到着したのは日付変わって午前2時だった。出発したのは前日の13時すぎだっから、13時間近く走っていたことになる。最後の方は道中真っ暗の森林。新月の前後だったのだ。田舎道の明度は月齢に大きく左右される。

小淵沢で浴びた風呂は、疲れでなんだかよくわからないところが最高だった。

小学生のときは、旧保谷市(現西東京市)の実家から、埼玉県の荒川に自転車で釣りに行くのが大冒険だった。ともだちを何人も引き連れて、帰りが19時半くらいになったので、母親にたいそう怒られた覚えがある。

小淵沢に自転車で行ったのは、29歳のときだ。そのときなりの冒険だったと思う。日本一周でも世界一周でも、いくひとはどこへでもいくことを思えば、たいそうちっぽけなものだ。

いくつになっても、それなりの冒険ができる。

個人で、チームで、なにかやって、くたくたになったり、ふやけたり。

大笑いしたり、大泣きしたりというようなことがしょっちゅうあるわけじゃない。

少なくとも僕はこれまでそうだった。

なんだかよくわからないけど、最高だな。

そんな、どこの家庭にでもある風呂に入浴するみたいな経験を、僕は自分の身のまわりにたくさん置いているように思う。

疲れでなんだかよくわからなくなるような冒険を、たまにしたい。