DIYの「こころ」

「場」や「環境」の提供。それを仕事とする人の話を聞いた。その人の仕事は「工務店」である。


「工務店」を軸に、日々の仕事をこなしながら、どうしたら良くなるか、もっとおもしろく、快適になるかと、思考と試行を重ねてきた経緯をうかがった。


建築や内装といった、「人間のいれもの」に向き合おうとするほどに、人間自身が浮き彫りになっていくことが、話を聞いていてなにより面白かった。


話のなかで、DIYという言葉もたびたびあらわれた。自分がよりよくなるための環境を自分でつくること。より快適に、愛着を持てる場づくりを自らおこなうこと。これは自分だけのためではなく、そこを訪れる他者のためでもある。やってくる人と快適に、より発展的な時間を過ごすための環境がどんなものかを考え、求めて行動すると、自らもより居心地がよくなるし、良い影響を与えあえるような他者と出会い、交流する場所にもなっていく。


その人はアメリカのポートランドへ行ったときのことを話してくれた。街の自転車屋なんだけれど、店内のスペースに対して、商品たる自転車が置かれているスペースは1割ほど。あとのほとんどは修繕など、人間が動けるスペースになっていたそうだ。日本の自転車だったら、この割合は逆転している。


たくさんの店、会社、職人たちの仕事場を見て回ったそうだが、多くの仕事場にコーヒーが飲める「一角」がもうけられていたそうだ。ものづくりにおいて、コーヒーはよき友となる。訪れる人と世間話をしたり、ときに深い深い議論となるようなときも、コーヒーを囲めるちょっとした「一角」が主役たる人間の居場所になる。


帰国したその人の営む工務店の敷地には、いま仕事場兼カフェ兼多目的スペースとなるいれものが建っている。露出した木の肌が滞在する者を和ませてくれる内装で、人間のための居場所である。その人は仕事も趣味も区別がつかないのだと話してくれた。おもしろそうだと思ってやったことが仕事になるし、仕事でやったことがおもしろくてまた自分を動かすのだという。


僕はここを訪れてコーヒーを飲むのが好きだ。


自分でつくったわけじゃないのだけれど、自分でつくった場所にいるような心地になれる。


DIYは、訪れる人をもてなす心のあらわれでもあるのだろう。その心は、自分自身をもてなす心でもある。