パンパンの袋菓子

いつも空気に押されている。

見えないから感じにくいけど、みんな空気のなかにいる。

高い山の頂上に、密封された袋入りの菓子を持っていくと、パンパンに膨らむ。そんなことではじめて、自分のまわりを満たしているものの存在を意識したりする。

それも、自分が動いたから気付けたことだ。ずっと一定の標高のところに居続けたら、知らないままだったかもしれない。

自分が動くことで、まわりと自分との関係の変化が生じる。同じ関係を保ち、支え続けるものの存在には鈍感になりがちだ。たとえ実在していたとしても、まるでないものかのように思い込んでしまう。

同じ場所に居続けても、びゅうびゅうと強い風が吹き込んでくる日もあれば、湿気ったり乾いたりもする。そうした変化のなかで、おなじポジショニングを保ち続けるのは、それだけでエネルギーのいることだ。空気は流れて、動き続ける。

もっと軽くなれればなぁ。

まわりの空気が自分より重ければ、なるほど、自分は浮かぶのである。

飛行機のようにすごい速さで動いていると、ちょっとした翼の角度で揚力がはたらいたり、その逆もある。静止していたら、翼の角度で浮いたり沈んだりなんてことはないから、なんだかちょっと不思議にも思える。動いているかどうかで、自分のとる姿勢がまわりとどう関係するか、結果に影響があらわれる。おもしろいなと思った。

動き出したものは、動き続けるのが楽になる。急に止まることの方が、一大事になる。

逆に静止しているものにとって、動き出すのは一大事になる。はじめの一歩を踏み出すとき、そんなときばかり、自分のまわりの空気が重いような…

まわりの空気と自分との、いまの関係がどんなものなのか。それに気付くこと自体が、はじめの一歩といえなくもない。