木ごころ

食育というテーマは、それなりに世間に浸透したように思える。毎日、ほとんどだれもが食事をするから、普遍的なことだ。

木にも命があって、それをいただいているんだなぁ、と。家の中の内装、家具、小物や食器類のなにかしらに木は使われている。毎日、生活のどこかしらで1度は木に触れているだろう。

日本は森林の多い国だという割には、森林の利用率が低いという話を本で読んで知った。マイ箸運動だとかがあったけれど、余ってしまっている木を使った割り箸は悪いものじゃない、と。そんな意見があることを知って驚いた。「マイ箸を売って利益を得る人」たちから、使い捨てることへの罪悪感を植えつけられていたのでは、と疑いたくもなった。

森林の利用率が低いらしいという話をとある木工職人の方にしてみたら、余っているのはおもに関東のスギやヒノキだということを教えてくれた。その職人さんが用いている木は、東北で育つらしい。大きくなるのに時間がかかるけど、年輪の間隔が狭く、強く丈夫な材となるそうだ。

食べ物を無駄にしないとか、命をいただいていることを知ろうという方向性は、僕たちにとってどこかあたりまえになっていたようにも思えるけれど、「木」からも命をいただいているという感覚がまだまだ根付いていないというか、もっとあっていいんじゃないかと思う。

木だけに限った話じゃなく、植物全般についてもいえるだろう。食事で口にしている野菜は植物だし、「食育」と分け隔てることもない。農業の課題と林業の課題に共通するところもありそうだ。そのへんのことは、今後学んでみたい。

そう、こころに植物をうえるという活動をする人たちが、神戸のメリケンパークにクリスマスツリーを立てたらしい。いってみたいですね。