脱ぎ散らかしたスニーカー、360°のたのしみ。

年が明けたあとの予定が、あまりない。

職業としての仕事の予定はいろいろあるけれど。

自分の「たのしみ」の予定のスパンはせいぜい1ヶ月ちょっとか。いまごろ1月中旬に予定が入っていてもいいような気がする(きょうは12月7日)けれど、年末年始の数日間は社会の動きが止まる(かのように思える)。そのぶん「たのしい予定」が生まれるペースも先延ばしになっているのかもしれない。(僕もいっちょまえに「社会の動き」に含まれているのか)

自分のたのしい予定をつくることに、僕はもっともっと積極的になるべきだと思う。これまで通過してたのしんできた予定といえば、ひとに自分を取り入れてもらう形で予定を立ててもらったものばかりである。僕はめったに自分で何かを企画しない。

期日を決めて何かを起こそうというのは、それに向かって動いていく自分を宣言するようなものである。動くのは億劫だ。根が怠惰なのかもしれない。

他人が関わることなら、嫌でも自分を動かすことができる。他人が立てた予定に取り入れてもらっておきながら、「嫌でも」だなんて思い上がりもはなはだしい。僕はなんてやつだろう。

たのしい予定が立てば、その予定日がやってきた当日1日だけがたのしいわけではないのですね。そこに至るまでに、わくわくしながら準備したり、ヒーヒー言いながら走り回ったり、キーキー意見を言い合ったり、なんとか当日に漕ぎ着ける港が見えてきて、上陸した場所はどんな美しいところだろう。

あれこれ苦労しながら進んできたら、苦労しただけの高みにのぼってきたということ。ドアを開けて一歩踏み出さなければ、日々汚れていく一方の見慣れたスニーカーが一足、玄関に脱ぎ散らかっているだけである。

たのしみは、360°ひらける。

その足で、その靴を履いて。