思考のティーブレイク

なるほど、「文章を書きながら」という方法によって導かれやすい思考の特徴、というものがあるかもしれません。

きのう、ふとお金のことを考えていましたら、最近見かけた「家庭の経済状況が身なりにあらわれている人」が急に思い出されました。それは子育てをしている女性で、決して困窮したり卑屈になったりしているわけではない、どちらかといえば頼もしく生きておられるのが伝わってくるような、しっかりした様子のお母さんでした。ですが、服装に価値を見出している様子が感じられないのです。決して無頓着というわけではないのでしょうが、どこにでもある量販店でみかけるような中間色のものを組み合わせた、よりどころのない印象の「薄さ」みたいなものを僕は感じてしまうのでした。

なぜこの話を持ち出したかというと、「文章を書きながら」の想起とは異質なものに思えたからです。

先ほどのお母さんを見かけたときの映像がふと僕の頭の中に再生されたのは、夕食時に妻と話をしているときでした。話をしているのは主に妻で、僕は聞き入っている側でした。彼女の提示する我が家の問題に対して、その解決をぼんやりと自分なりに思索していたときに、ふと想い起こされた映像だったのです。見ため上はまるでぼんやりしているようにしか見えなかったでしょう。妻に「大丈夫か」と聞かれました。実際ぼんやりしていたかもしれません。