超銀河細胞

自分で作った曲を自分で演奏し、自分で録音して自分で編集し、自分でCDにする。それを自分で売ってまわる。そんな経験があるミュージシャンがたくさんいると思う。この工程を部分ごとに担当するプロがそれぞれ世の中にはいて、かれらを束ねて制作・流通に関わる仕事を一貫しておこなうのがレコード会社だったりするのだろう。すべてを一貫しておこなえるのは案外大きな会社くらいなもので、限られた範囲を部分的に担う中小組織がたくさんあると思う。

 

僕も自分ですべての工程を担ってCDを作ったり売ったりしたことがあるけれど、ある工程をパスすれば次の工程におのずとぶち当たるから夢中でやっていただけで、あまり意識したことはなかったが、そうした工程を社会にあてはめて考えるととても大きな学びが得られたんだろうなと今になって思う。もっと早く気付くべきだったが、なにぶん社会のごく狭い範囲にのみ加担するような仕事を長くやっていたし、そのおかげで浮いた時間と労力を使ってCDを作ったりしていたから、つくづく人間は「ひとりぶん」しか生きられないなぁと思う。

 

なにか気付きが得られたり、発見したり答えにつながるような糸口を見つけた自分は、過去の自分を振り返ってナニやってたんだろうな、なんて思ったりするけれど、やはりその時代の自分がなければ今に至らないわけで、同質の気付きや発見にたどり着くことはないわけだ。

 

 

「社会」についてふと思う。

 

生きていくために必要なことを分業して成立させる集団。そこに「社会」が生まれる。

 

たった独りで野をかけまわり、食べるものを自然から拝借し、安全に眠る場所を自分で見つけ、暮らし、亡くなったら雨風土に分解される、そんな一生を送るぶんには、「社会」は顔を出さないのだろうか。

 

他の生き物との関わりは、独りで生きても必ずつきまとう。「食われる命」なしには、自分の命を保てないからだ。

 

自然界が、あるいはもっと広く地球や宇宙全体がひとつの社会といえなくもない。「独りで生きても」なんてところにそもそもの間違いがあって、他者と関わらずに生きるのは不可能といっていい。「誰とも関わらないもの」とは、「この世に存在しないもの」だけだろう。