Life Line〜緊張の糸〜

釣りにおける「ファイト」の過程では、竿のしなりを利用しながら、腕で竿を支える力を調節し、上げたり下げたり、それだけではなく、魚の動きに合わせてその場で歩きながら自分のからだ全体を移動させたりして格闘、まさしく「ファイト」を経て、陸上に引き揚げるに至ります。

 

最終的には自分のそばまで魚を「引いてくる」のですが、その間、引き合う力の合計が決して一定以上にならない(糸が切れない)ように、「押しながら引く」ような調整を一瞬たりとも間断なくやってのけたときに、初めて陸上で魚に会えるのです。

 

そのときの「緊張のゆるみ」ないし「緊張からの解放」が、魚を釣る人をやみつきにさせる魅力なのかなと思います。

 

小学2年生くらいで初めて釣りをしてから、父親に連れて行ってもらったり、自分で電車や自転車に乗って行ったり、車を運転したりして、かなり釣り場に通いました。

 

 

最近はめっきり行っていません。

 

 

「緊張しっぱなし」なのかなあ。

 

 

緊張がゆるむような趣味を持つといいかもしれません。

 

初めて釣りに出会ったころは、ブラックバスのルアー釣りなんかが話題になり出したころで、本当に釣りが「流行って」いました。「釣り」をテーマにした漫画なんかもいくつも連載されたりしていて、当時の少年(僕)の将来の夢は「釣り師」だったくらいです。

 

「釣りをすること」が仕事だったりしたら、緊張はゆるむどころか高まるのかなぁ。撮影が目的だったら、魚を陸に上げる姿を見せられないことには、プロとしてしめしがつかないようにも思えます。それでも「自然」が相手だから、1尾も姿を見ることができなかった釣行を正直に放送している番組なんかももちろん観たことがあります。

 

釣りに行ったあとの自分の気持ちを俯瞰して眺めてみると、確かにリラックスして「ゆるんで」いるのかもしれませんが、前日なんかは期待感でドキドキしたり、楽しみで高ぶってしまいます。

 

連れて行ってくれる父親に、何時に出発したいかを訊かれて、少年ながら早起きの苦労をかけることを申し訳なく思いながらも「3時!」と伝えたときの気持ちを思い出しました。

 

いまは1歳児の父親になっている僕。

 

息子に「3時に出発したい」と言われるような日が、現実に来るかもわかりません。

 

じいじが元気なら、3世代で行けるかも?

 

孫としての僕にはその機会は訪れなかったけど、息子にはチャンスがあります。

 

みんな、長生きになってるしね。

 

健康的に長生きするのにも、釣りは良いかもしれません。