難消化物、なんしょうか 〜お正月編〜

消化したいことをあれこれ想像して休みに入るのですが、職場にいた時間が家庭に移るというだけで、なかなか消化できなかったことが一気にはかどるわけはありません。

そもそも消化なんて言葉を使って表してしまうようなことは、もともとどっちでもいいようなことだったりもします。

これは取り入れたい!と思って手元に引き寄せたそのときは必要だと感じていたわけですが、暇がないとかを言い訳に後回しにされているうちに、消化されずに放置されてしまうモノやコトがあります。日常のおこないのなかで、高い優先度に位置付けられることがなかったのでしょう。寝る、食べる、とかは、1日〜2日や数時間の範囲で前後させることはあっても、いつまでも後回しにするわけにはいきません。

消化のわるいものは、すこしずつ手をかけるしかありません。ちいさくひきちぎって、ひとくちずつよく噛みながらとりいれる。現状で、ひきちぎれもしないし、くちに入れられるサイズにできないというものは、きっと「いま」とりいれるべきものではないのかもしれません。

一度手放せるものは手放せば、自由に使える時間や生活のスペースが広がるし、しまっておいておけるのならば、しまっておけば良いでしょう。好意的にとらえれば、「寝かせる」「発酵させる」といったものです。時間が経つ間に、自分が変化したり、対象との距離感が変化したり、場合によってはしまわれたモノゴト自体が本当に発酵するように変化することもあるかもしれません。

正月休みなんてのは、寝かせたり発酵させたりするには、あまりに短いものなのでしょう。

僕の休みも、もうすぐ明けようとしています。

ああ、発酵したい。

(させたい)