島国の僕たち

大学生をしている最中に、成人となる人が多いのではないでしょうか。

僕は一浪して大学へ入ったので、大学一年生をしているときに成人式を迎えたと記憶しています。

地元の中規模ホールで式があり、どうやって選ばれたかしらない新成人の誰かがスピーチやらなんやらをして、市長なんかも登壇していたかもしれませんが、よく覚えていません。そのときにもらった「マナー辞典」のようなものが、今でも家の棚のどこかに埋もれています。

成人になったからといって、急に人生が変わるようなことはありません。お酒やタバコを合法的にたしなめるようになった、というくらいでしょうか。そのほかにも、競馬ができるとか、親の合意なく結婚できるとか、得られた権利があるようですが、あまりご縁はありませんでした。

当時は選挙権が与えられるのがこの成人のタイミングでしたから、選挙に関われるようになったという転機でもありました。社会のことをよく知ろうとする努力なしに、急に選挙権を与えられても、どこに投票して良いかわかりません。自分で投票箱に小さな紙を差し入れるということを、何度となくただの儀式のように通過してきたようにも思います。

参政権はなにも急に与えられるわけではなく、本人たちも成人したら(いまは満18歳)与えられるものとわかっているわけですから、それに備えて知ろうとする努力にとりかかることはできるわけです。

親に養ってもらって生活し、学校によって組まれたカリキュラムを「受ける」身でいると、そうした努力の必要性も感じにくいのが正直なところです。

自分の時間、労力を費やすことで生活の糧を得る、という立場において初めて、社会のことが自分のことのように思える。自分のことのように思えて初めて、もっと知りたいという動機が得られるのです。

無関心とは、距離感に起因するものかもしれません。まだまだ遠いと思っているうちは、油断してしまいます。油を注ぎ続けることの結果が遠くてよく見えないので、毎日こんな努力を続けてなんになるのだ、と、短期的に充足が得られる行為を優先させがちです。

遠かったと思っていたら、あっという間に近づいてくる。その時に、短期的な潤いを優先させてきたことを後悔したとしたら、距離感を見誤っていたのでしょう。イヤ、自分が選んで生きてきたことのまっとうな結果だと受け入れるのもまた、自らの距離感に導かれた因果です。


遠くに見えるあの島に漕ぎ着けるために、オールを動かすのでしょうか。

オールを動かすのが楽しくて、気付いたらここにいました。

そんなふうに僕は成人したし、そこから10年、経ちもしました。

これからも、オールを動かし続けるだろうと思います。

成人したてのあの頃のほうが、下手したら遠くまでよく見えていたかもしれません。

ただ、いろんな島があることを、あの頃よりは多少知ったように思います。