人件費不要のマネージャー 〜TさんとNくん〜

機械的に予定が埋まっていくことに、慣れすぎているなあなんて思います。


ぜんぶ自分で決めていいはずなのに、とある時点での選択に従い続けるという状況におちいりがちです。


どこかに就職して、そこでの仕事で「いついつが会議だ」となったら、その職場を選んで就職をしたという「過去の自己決定」にしたがって、スケジュールが埋まります。最初のうちは、向こうからやってくるものにつぎつぎぶち当たるだけでも新鮮かもしれませんが、慣れてくるとたちまちヒトは先入観を持ってしまう。「あれね」と決めてかかり、消化試合のようにこなしてしまいがちです。


その方がラクで、挑戦も試行もなく片付けてしまうことで、もっと優先したいことにエネルギーを割けるのならば、効果的な「省エネ」となるかもしれません。ただ、2時間という予定を入れたならば、その2時間が伸び縮みするわけではありません。会議の目的を明らかにして、積極的に早く切り上げるとかすれば別ですが、時間が固定された予定は、そこでどう過ごすかが貴重な糧となるか捨て銭となるかの別れ道になってきます。


そう単純な話でもなくて、直後は時間の無駄だったと思っても、長い期間を経て振り返ってみると無為に思えた時間こそが財産のように思えたりもしますから、そもそも時間に「質」があるかのような思い込みこそ、まぼろしなのかもしれません。


僕はこれまで幾度となく、手帳や日記をつけることに片足突っ込んでは、長くて数ヶ月、短くて12日で途切れてしまってきました。継続的に手帳や日記を用いていないのが現状です。


過去を形として残し、手近なところで目に触れるようにしておく。


これまでの自分になにかを見いだしたり、発見することがあるかもしれない。


そのことによって、未来の自分の指針を現在の自分が握ることになる。


手帳や日記の価値は、そこにあるのかなと思います。


僕の場合は、レコーディングをしたりして、「音楽」がその役割を担っている部分がある。


だから、僕の(物理的フォーマットとしての)「日記・手帳」は、なかなか続かないのかもしれません。


手帳や日記について考えることで、自分の日々取り組む「音楽」に内包される機能に、新たに気づかされることがある……


それだけでいま、なんだか感謝したい気持ちになりました。


ありがとう、「日記帳・手帳」たち。


(これまでないがしろにして、ゴメン)


そして、僕よ。


くれぐれも、スケジュールは機械的に埋めることなかれ。