ちいさな国 〜社会の縮図から〜

公民館というところで働いています。


これがなかなかやっかいなところがあります。


どんなところがやっかいかというと、


現代における立ち位置がなかなかやっかいです。


もともと、諸地域の生活に則した(即した)諸問題を解決するための「場」として設けられたのが公民館。(誤まった解釈であるおそれを棚上げしています。ご留意ください)


まずこの「地域性」みたいなものがやっかいです。


なぜかというと、情報や知識のやりとり、意思の疎通のかたちをインターネットが変えてしまったからです。


地球の1番離れた場所どうしにいたって、ほとんどフェアにそれらの通信が実現できてしまう。


その観点のみについていえば、「地域性はもはや崩壊した」とさえ、いえなくもありません。(あくまで狭義に、です)


からだが元気な人は、自分の足で、または交通機関を利用して、居住地域を離れた場所で活動することが容易です。


これに対し、居住地域内のごく限られた範囲でしか動くことが困難な人が、ここでいう狭義の「地域性」みたいなものを持ち続けることになります。


これに該当する人は、おのずと高齢者が多くなります。


高齢者には、インターネット端末の扱いに不慣れだったり、その手段を持たない人が多くいるというのが、僕の実感です。


高齢者ばかりが、居住地域内に取り残され、情報網からも取り残されがちになる。


遠くに行けないから近くの公民館に行くし、インターネットは難しいからテレビを観る。


「公民館」や「テレビ」と聞いて、高齢者に寄ったイメージを持つ人は、少なからずいるのではないでしょうか。


現場で働いていますと、たくさんのご高齢の方々が毎日やってきます。


部屋を予約されて、サークル活動をするという利用のしかたをする人に、高齢の方がやや多いというのが僕の印象です。


予約なしに使えるロビー利用となると、小・中・高・大の生徒・学生さんといった、若い利用層がいくぶんふくらみます。


図書館とひとつづきの建物に設けられているので、そこから流れてきたり、通り抜ける人も多いです。


図書館で借りた絵本を提げて、お子さんを連れて去っていくお母さんをよく見かけます。


これらの光景は、僕の勤務する日中のものなので、夜間には、昼間はたらく人の利用があると思います。部屋を予約しての利用層も、いくぶん若返ることでしょう。


こうして自分の出入りする職場、「公民館」をながめてみると、社会の縮図のようにも思えます。


高齢化してみえるけれども、実際にはあらゆる世代のひとがいる。


それでもやはり高齢の方々が目立つ印象を受けるのは、それがそのまま、この国の現在の社会の実状なのだと思います。


公民館はあらゆる人の学びを保障する学習施設であり、「社会教育法」に基づいて設置されています。(自治公民館といわれる類のものは、根拠を異にします)


あらゆる人の学びを保障するのが公民館なのだけれど、国の中(地域の中)には、高齢者の人が多くいる。


これがまたひとつ、僕にとってやっかいに思えるところでもあるのです。


多数の人にコミットする事業。


少数の人に特化する事業。


これらがぶつかることなく、それこそ社会の縮図のように地続きに影響しあうような事業実施こそが、今日の公民館に求められる役割なのだと思います。


そして、それは決してたやすいことではありません。


だから、う~ん。


なかなかに、やっかいなのである。