バスティンとお土地柄

生まれて1番最初に近くにあるものといえば、「母親」でしょうか。

長くを母親と一緒に過ごすかどうかはそれぞれ家の事情にもよると思いますが、自分の未来を決める「近くにあるもの」として、「母親」の存在は大きいものと思います。

僕なんかはピアノ教師を生業としつつ作詩をする母親のもとに生まれましたから、「詩郎」なんて名前をもらって、ピアノに親しむきっかけもそれは自然にやってきたわけであります。

31歳になった今でも結局ピアノを弾いています。技術の習得というか教養というか、習いごと的な側面からいえば、中心に学んだのはクラシックでしたが、現在の僕が取り組んでいることやこれまでを振り返って俯瞰してみると、からずしもクラシックの範疇にはおさまりません。

最初に親しんだ教材が「バスティン」だったことも大きく影響していると思います。アメリカのバスティンさんが作った教材なのですが、「コードネーム」が早い段階で学べます。おおむねクラシックの楽譜にはコードネームが記されていませんが、ポピュラーやジャズにおいては、コード(和音)とメロディ(主旋律)だけが記された譜面に基づいて自由に演奏する、といったスタイルが広く用いられています。日常生活の中で、かならず誰もが一度は耳にしたことがあるような種類の音楽の多くは、「コード」と「メロディ」を把握することによって、その楽曲のアイデンティティを再現したり発展させたりできるのです。

そんなわけで、幼少期に近くにあったピアノ教材の特色なんかも影響して、今の僕と音楽のスタンスが形成されているように思えるわけです。

だれかのこと、自分のことを語るうえで、生まれ故郷や家庭やら、育った環境にあったものがなんなのか、それを押さえてその人を理解するというのは自然かつ的確なプロセスだと思えます。そこに登場する固有名詞は、共通の理解があればその人への理解の構築を早めるツールになりますが、語られた方がそれを知らないと、まずはその固有名詞が指すものがなんなのかを調べるところから始まるのです。

近くにあるものを語るとき、固有名詞の共通理解度が高いのが、同郷の級友だったりします。その土地にいる人の気質も含めて、土地柄なんて言葉で表されたりします。人間が過ごす土台たる「土地」も、「母親」と同じか、それ以上に近くにあって、人に影響を与えるものと思います。