VS.同人誌前夜

同人誌という世界があるらしい。


あんまり僕はよく知らない世界なのだけれど、最近いろいろ調べたり読んだりするなかで、行き当たったキーワードのひとつである。


同人誌と聞くと、二次創作を指し示すイメージが強かった。


どうもその限りでもないらしい。


個人(あるいは集団)が自主的につくったようなものを広く同人誌と呼ぶ。かなり自由だし、幅の広いもののようだ。


僕自身も、音楽CDの自主製作をやったりしてきた。業者に頼んで「プレス」してもらったことは、まだない。これは同人誌でいえば「コピー本」という部類に入る。わざわざまわりくどい言い方をしたが、ようは「コピーCD」である。CD-Rなら業者に頼まなくても自分のパソコンや録音機で焼けるから、手軽に自分だけのタイミング(スケジュール)でつくることができる。結果的にかかるコストが安いかどうかは別だけれど、つくる部数の下限が自由であることや、入稿のフォーマットや規定なんかも一切ないことによるメリットはある。


CDに投げ込むための歌詞カードを自分でつくったりもした。B4サイズの紙でデザインすると、12cm四方のCDジャケット(市販品をミリ単位で測ってみると、きっかり12cmではないのだけれど)サイズが6面ぶんとれる。少し端が余るからカットしないとCDケースに入らないけれど、6つ折りの歌詞カードがそれで作れる。アルバム1枚分の歌詞を載せるのに不足ない。


そうした側面から、僕もこれまで「同人誌づくり」となんら変わりのない「ワーク」に身を投じてきたことがわかる。


「同人誌」は、自由だ。





半年以上前に、僕は自前のパソコンを全損している。以来、ぼくの「同人誌」的音楽CD製作機能がストップしてしまっている。


そろそろどうにかせにゃならんなぁ


と思いつつ、このままでは1年が経過してしまいそうな勢いである。


「時勢」という言葉がそれを指すのにふさわしい言葉かどうかしらない。


時は流れる。


一定の量が一定の方向に流れ続けているはずだけど、「勢い」みたいなものを感じられるのは不思議だ。


強まったり、弱まったりするからこそ感じるのが、「勢い」だろう。


それはすなわち、「自分」がいつも変化していることを示している。


流れのなかに立ったり、泳いだり、進む方向を変えたり、潜ったり


いろいろと姿勢を変えながら揺らぐ「自分」がいるからこそ、「時間」に対して「勢い」なんてものを感じるんだと思う。