命名

「ハムスターの研究レポート」という漫画があった。


漫画も手伝ってか、ハムスターがブームだった時期があったようにも思う。


その漫画がきっかけになって、僕も昔ハムスターを飼っていた。


「とっとこハム太郎」なんて作品が出てくるよりも、ずっと前の話である。


初めて飼ったのは「ゴールデンハムスター」だった。「永吉」という名前をつけた。矢沢永吉は無関係だ。発音するときの心地と字の意味を考えてつけたように記憶している。


結果から言って、「永吉」は2年以上3年未満程度生きて、死んだ。ハムスターの寿命としては、そこそこ平均的な期間を生きられたのではないかと思う。小学校低学年だった僕は、シャワーを浴びながらしくしく泣いた。ケージの中の「永吉」の遺体は硬くなっていて、死ぬときに下側にしていた面が床に沿って潰れ、平らになっていたことが衝撃的だった。


それ以降、いくつかの種類のハムスターを何代か続けて飼ったけれど、「永吉」の寿命を超えるものはいなかった。3ヶ月未満で死んでしまうものもいた。ペットショップから家庭に連れて来られて、小さなケージで生活を強いられるのはストレスだろうなと想像する。僕の飼い方が悪くて寿命を短くさせてしまった部分だって、どれだけあったことかわからない。


僕は、生まれてからずっと住んでいたマンションを、高校2年生くらいで離れた。そのあと大人になって結婚したときに、かつて住んでいたマンションの、全く同じ部屋に戻ってきたという経歴の持ち主である。


今も住んでいるそのマンションの庭には、子どもの時に飼っていたハムスターたちが埋まっている。泣きながらスコップで穴を掘って、中にそうっと遺体を置いて、やさしく土を覆い被せた。土をかける瞬間のあの抵抗感ときたらない。生きていたときを知っているからなのか。見ず知らずのハムスターでも同じ抵抗を感じただろうか。血の通った温かい身体で、ひまわりの種の殻をぱりぱり剥いていたではないか。その延長線上に、土をかけた冷たい遺体がある事実から、始まっては終わるという命の側面を初めて実感したエピソードである。


それまでにも、たくさんの命の始終とすれ違ってきたはずだった。子どもだったし、経験も少なかっただろうけど、道端で仰向けになった虫の死骸を、知らず知らず蹴飛ばしていたかもしれない。故意に蟻を踏んだこともあっただろう。



僕は、あの命に名前をつけることで、関係を始めたのかもしれない。


自分の外側に、命を分け与えることのようにも思える。