「芸ごと」と「競いごと」

「拍手や満席の規模」に贈られるメダルがあるとしたら


「競いごと」に対しての「芸ごと」といいますか、概念的なもので、具体的な基準があるようでないようなこと、そのときそのときの人の気持ちを動かしたり、心の中にだけずっと残って、数字に残せないような体験の共有だったり、といったもろもろのことに取り組むことは、なかなかスポーツの世界において「ベスト」にメダルが贈られるような評価方式にあてはめるのは難しいことですね。


具体的にこれだけ売り上げたとか、利用人数をカウントしたとか、計上可能な要素ももちろんあると思います。それらからは当然、大変大事な情報を深読みすることができます。ただの「情報」を深く読んだり、その裏を読んだりして、活かしたり活かさなかったりの取捨選択に反映させたり、行動決定の根拠にしたりするのが「知」といえましょうか。それも01かを選びとるようなことではなく、01の間に無段階に存在するもの、その広がりを考えること、実際におこなうことが「知」の先にあるような気がします。


『この記録は史上「最も」である』という基準を簡単には線引きできないようなおこないであってこその、おわりのない面白さ、やりがい、おかしみがあるように思います。僕の身近にある「音楽」や「学び」の分野についても、当然それがいえそうです。


おわりなく追究できる(ように思える)ものの存在が、「生」をまっとうさせる。生きることでしか、「死」も知り得ない。