「食う・残す・死ぬ」のこと

インターネットが世界を変えただなんだといいますが、長い人類の歴史でみたらごく最近のわずかな期間のことでしかありません。そんな表層の外見のことではなく、ずっと僕たちがやってきたことというのは、とどのつまり、食う、人間を残す、死ぬ、ということなのですよね。


自分自身が子を持って親になる人もいれば、そうでない人もいます。自分自身が親にならなくとも、自分のような人間を残そうとしたり、人類全体を少しでも残そうとしたりすることができます。たとえ自分自身が親になったとしても、守ってやらなくても勝手に生きていけるようになるくらいまで子を育てれば、また親じゃなかったときのようなふるまいができるかもしれないし、あるいは子育て中にもある程度の並行が可能かもしれません。


たくさんのたくさんの「残ろう」「残そう」の集まりで、人類全体ができています。その始まりに「生まれる」があり、途中に「食う」があり、終わりに「死ぬ」があります。未来の者たちが「生まれて」「食って」「死ぬ」ためのことを、考えて、おこなったりする。それが、「残す」ことにもなるのでしょう。


昨日、スーパーで売っていた出来合いのチーズカツとエビフライを食べた。胃がもたれた。高齢の僕のばあちゃんは、最近ついにものが食べられなくなり、今は水分の点滴だけで生きている状態だ。お葬式が近いことを覚悟しておくようにと、先日母親から言われた。もうすぐ2歳になる息子と妻と生活している。二人目の子どもがいる未来もいいと思う。


僕のいちばん身の周りの、最近の「食う・残す・死ぬ」のことです。