ままくいこたれ

僕の母は、詩を書きます。


そのいくつかを、僕は読んだことがあります。


僕の父は、絵を描きます。


そのいくつかを、僕は鑑賞したことがあります。



僕は曲を作って、歌ったりしています。


そのいくつかを、インターネットやCDにして残したりもしています。


それらが誰のためかといえば、一番は自分のためなのかもしれません。


でもそれよりも、世界中のどこかにいるかもしれない「この世で最も『僕』みたいな誰か」を想定して、作っているようなところもあります。


それが、ときに自分であったり、自分の身近な人であったり、多くはない自分のことを気にかけてくれる人だったりします。


ひとりひとりがまったくまるで違うのだけれど、自分以外の者の中にも「僕」みたいな奴が部分的に存在するし、逆に僕の中にだって、いろんなひとりひとりの「あなたたち」が、部分的に存在しています。家族であるとか、他人であるとかは、直接影響がないとは言えませんけれど、たまたまそうだったというだけです。


美しいものばかりが、自分の外側に出ていくとは限りません。恥ずかしくて隠したくなるようなものもあるでしょう。でもそれを外に出さないようにしていたら、自分の中に醜いものばかりが溜まってしまうのではないでしょうか。


まんまを食って、うんこをたれて生きるのです。


そこに、父も、母も、息子も、他人もありません。



口にいれるものがあって、尻から出るものがある。


そういうものと向き合うことで、自分の中で何が起きているかが見えてくる。


それってすごく、面白いと思うのです。