しろうと〇〇

わりとなんでも器用にこなすタイプです。それがために、ひとつのことで大成せずにここまで来ました。現在31歳です。

実家の母がピアノ教師で、僕も幼い頃からピアノをやりました。練習はきらいでしたが、なんとかやめずに中学生になりました。そこでエレキギターを始めます。そして中2の終わりには地元のアマチュアオーケストラで打楽器をやりました。クラシックピアノ以外にも触れる音楽の幅が広がり、音楽がより好きになりました。

高校で軽音楽部に入り、だんだんギターを弾きながら歌うようになりました。自分で曲も作るようになりました。オーケストラで打楽器をやっていたから、ドラムにも手を出すようになっていました。エレキベースも、ピックでベベンッとやれば弾けなくもない。作った自分の曲に、バンドの楽器をひと通り自分で演奏して、重ね録りするようになりました。それからずっと、未だにそのスタイルで曲を作っては録音しています。

「作曲と、種々の楽器の多重録音」を「ひとつのこと」としてみれば、馬鹿のひとつ覚えという言葉では足りないくらいに、わき目もふらずにやってきました。それでいて、大成したなんて自覚は毛ほどもありません。そればかりがやりたいがために、主な収入源として、ずっと補助的な仕事を選んでやってきましたし、今もそれは変わりません。大学を卒業して、まっすぐ就職してやってきた同い年の友人たちの年収と比べたら、どれくらいの差があることか。世間知らずでずっと来てしまった僕には、想像もつきません。もちろん、収入だとかいう単一的な観点によらないところに多くの価値を見出してやってきているつもりなので、それ相当のものを得ているのは僕も同じです。

ビジネスを起こして、歩き始めるような同世代の仲間も出てきています。組織の中でやってきた友人にしても、「〇〇代表」だとか、「役職」や「肩書き」の書かれた名刺を持ち歩いているかもしれません。僕はといえば、役職や肩書きを持つことを避けるような歩き方をしてきたかのようにも思えます。あるとしても、とってつけたようなものでしかない。…きっとそれは、独立したり組織の中でやってきた彼らにとっても同じなのではないかとも思います。当然のことながら、役名や肩書きそのものが欲しくて何かをやるのではないでしょうから。

同様に、「早熟」だとか「晩熟」だとかも、はたからそう見えるというだけなのでしょう。そういう評価を付せるような、様々な尺度があるということに過ぎません。いつだって「熟した」覚えなんかなく、死ぬまで「素人根性」を持ってやっていく、その予感だけを持ち続けてやってきたし、その予感が的中するのを確認しながら生きている、なんて限った言い方もできてしまいます。

死ぬまで、「しろうと〇〇」でいく。

なんてったって、僕の名前は「しろう」ですから。



青沼詩郎