生きてるだけで、いいか。〜命がけの体得物〜

僕は今、31年間の人生で最も長い期間、体調が悪いです。咳が1ヶ月以上止まらないのです。ずっと、風邪と花粉症のひどいのを引きずっているのだと思い込んでいました。

先日とある公共施設で「長引く咳、本当に風邪ですか?」という三つ折りチラシを見つけました。

「(まさしく僕のことだ!)」

手に取ってみると、「結核」への注意を喚起するチラシでした。中面には高齢者を思わせるイラストが入っていましたが、表紙には「沖田総司  幕末に活躍した新選組の一員。結核のため、24才にして死す。」とあります。若いお笑いタレントが結核になったニュースを聞いたこともありました。

不安になって、ネットなどでも情報を集めてみると、兆候として挙げられるものに「だるい」「食欲が出ない」「やせた」「微熱がある」「血の混じった痰が出る」などが挙がります。血痰と微熱以外は、全部自分にあてはまらなくもないように思えました。熱は普段測る習慣がないので、実際のところは発熱していたのかもしれません。気になって仕方がない気持ちを抑えながら帰宅のチャンスを待ち、検温してみると37.7℃でした。僕の平熱は36.7℃です。微熱といえなくもありません。

一気に不安な気持ちでいっぱいになりました。その日の仕事を終えて、2-3週間前にかかっていた耳鼻咽喉科を受診しました。僕は努めて、自分の心配に対する結論を急くような発言はしないようにし、症状だけをなるべく事実のままに伝えました。すると医師は、これだけ長引く咳は風邪ではないということ。副鼻腔炎だということ。そして「あまり言いたくはないが」と前置きして、結核の可能性もあることを説明してくれました。そしてその場で、「呼吸器内科」をやっている医院を紹介してもらいました。

その日はもう、いくつか紹介してもらった呼吸器を診られる医院は、すべて診療時間を終えていました。仕事のことや、ずっと続けてきた音楽活動のことや、家族のあらゆることやらすべてが、入院生活で中止せざるを得ないとしたら…。ネットで見たあるページには、「結核による統計上の平均入院期間は65日」とありました。薬を飲めば治るともありました。服薬期間は6ヶ月ともありました。それらと横並びに、死亡する人もあるとありました。

ぐるぐるぐるぐると、自分が死ぬことについて考えました。考えましたが、「結核」と決まったわけではないし、必要以上のことを考えたり心配するのはやめました。

その翌日、いつも通り出勤した僕は、午後病院に行きたいから休ませてほしいと、同僚たちに告げました。みな気遣いを見せてくれて、上司は午後だけといわず1日休むことを提案してくれました。僕はありがたい気持ちになりました。

一度帰宅して、僕は服用していたすべての処方薬を持って、前日に紹介された呼吸器内科へ行きました。平日の午前で空いていましたから、スムーズに診察してもらうことが出来ました。

僕はまたなるべく平静に、これまでの症状と経緯を伝えました。レントゲンを撮ることになりました。

「(何を告げられるんだろう)」

ドキドキしながら、垣間見える職員たちにざわついた動きがないか、注意深く観察してしまいました。これといってそうした動きは見られないまま、すぐに名前を呼ばれ、診察室に戻りました。

レントゲンをデスクの前の壁に掲げて、医師は説明をしてくれました。結核であることを示すような影はないこと。リンパの腫れもないこと。咳のし過ぎで、胃に空気が溜まっていることなどを告げられました。吸入薬を処方するから、使い方を薬局で教えてもらうようにと言われました。

医師いわく、今年、花粉が多いのは事実だそうです。大学の先生だとか、役者だとか、僕のように咳が出て困ると来院する者は多いそうです。咳が長引いた分だけ、治るのにも時間がかかると言われました。ぶり返すから、薬を勝手にやめないようにと諭されました。また、布団をクリーニングしたり、新しい物に買い替えたりして、なるべく清潔を保つように言われました。そんなんですねと相槌を打って、僕は聞き入っていました。

「五月病」なんて言葉がささやかれ始めるこの頃。

自分のこの頃の、ばくぜんと調子が悪いすべてのもろもろが、結核のせいだったとなれば、あらゆる不調に合点がいくと思っていました。しかし幸いにも、そうではなさそうです。

例年より多いと言われる花粉にさらされ、例年より多くのアレルギー反応を起こし、疲れた体をちょっとした雑菌に冒されて、人間関係や環境の変化にめまぐるしく翻弄される僕。

死ぬような病じゃなくて良かったな。

声が酷くて、歌ったりする活動に支障がある状態は、まだ続きそうです。

だけど、「生きてるだけでいいか」と思えるようになりました。

命がけで覚えたことは、体が忘れないでしょう。