海老の殻、食う?

「つうといえばかあ」とか、「つうかあの仲」という言い表し方があります。僕は自分では使ったことがありません。ある年上の女性が使っていて、知った言葉です。「息がぴったりあっている仲」みたいなニュアンスだそうです。


こう声をかけたらこう返すとか、こういう行為に対してはこう動く、というような「お決まり」があるみたいです。誰が決めたのかもわかりませんし、それを縛る法的根拠なんかもないような、「定石」のようなものである場合もあります。「本当に定石のようなもの」に関しては、それを知り、実践し、あるいは自分のケースに当てはめてアレンジしたり応用したりすることで、実際の人生に役に立つものだと思います。


ところで、居酒屋に入ったら「まずビール」を不可侵の定石のようにしている人もいれば、そうでない人もいます。銭湯で浴場から出て来たら、脱衣所で腰に手を当てて牛乳イッキ飲みというのは、きっと誰かが何らかの目的で世間に与えたイメージであって、実際にそれをしている人を僕はあまり見た記憶がありません。ちなみに、僕は平均的な日本人よりは多少、銭湯によく行く方かもしれません。風呂がある家に住んでいるにしては、たぶん通う回数が多い方でしょう。


つまり何が言いたいかといいますと、「お決まり」みたいなものを破ったり、あえて外したりズラしたりするところに、おもしろみや発見があるのではないかということです。ちなみに、前段の文章がそのことを例示したような内容になっていないことはお許しいただきたいと思います。「ヨシ、これを書くぞ!」というような意気を伴わずに散歩しているような文章なのは、実際に僕が散歩しながらこれを書いているからなのかもしれません。なんか休日っぽくて、いいですね。実際に休日なんですけどね、僕。


草むらを見つめていたら、ちょっとヤバそうな蜘蛛がいました。たぶん、実際はヤバくないと思います。「実際にヤバい蜘蛛」に関する啓発や警告を、どこかで目にしているからそう思うのでしょう。この世にいる蜘蛛のほとんどは、そうヤバくもないものがほとんどだろうと思います。根拠はないけど、うん、たぶん、きっとそうだ。


ところで、知らない人から「怪しいものではありません」と言われたら、何事かと思うでしょう。実際に言われたことがないのでわかりませんが、たぶん「怪しいもの」と「怪しくないもの」を差別化し、なおかつその発言者を「怪しくないもの」として扱ってほしい、という意図があるのでしょう。本当に「怪しくないもの」か、「怪しくないものを騙って怪しいおこないを成そうとするもの」かはどうかは、その「怪しいものではありません」の発言者次第ということになります。


さて、ヤバくもないのに「ヤバそうというレッテル」を貼り付けかけた蜘蛛を見かけた草むらにしゃがんでいたら足がしびれたので、そろそろ行きます。


中身だけ食べられて、皿の上に残った海老の殻みたいな文章を書いてしまいました。ちなみに僕は、殻ごと中身を食べる方です。中身のない殻だけを食べることはしません。ミカンも外側をよく洗って、表皮ごと食べることがあります。(薄皮ではなく、表皮ごとです。)殻や皮を含めた「全体」を知ることは、ちょっとした冒険でもあります。冒険をしてみて、結果よかったなと思うことがほとんどなので、取り返しのつかないようなリスクを伴わない冒険ならば、ためらうことはないでしょう。


ミカンの皮でアート作品を作る人がいますが、あれを海老の殻でやるという人は知りませんね。パリパリと割れてしまって、難しいでしょう。