石ころとリズム

僕はたかだか32歳ですが、歳をとって感じるのは、「リズム」を崩すのが難しくなっているなぁということです。10代・20代のときは、根詰めてやりたいことがあるときは、平気で6時間でも12時間でも、ろくに休憩もせずにやり続けていました。沈んでいた太陽が再び顔を出してから眠りに就くなんてこともままありました。そのときと今とでは、立場というか、仕事も家庭環境もまるで違うので、当然のことといえばその通りです。

若いときって、リズムが整っていない。「変拍子」に柔軟に反応できる、というところでしょうか。30歳を過ぎた今でしたら、あらかじめ「楽譜」をいただいて、しっかり目を通し、予習を重ねていけば対応できるかと思います。歳を重ねていくほどに、「計画性」の高さがモノを言うのかもしれません。しっかり計画した通りにリズムを乱し、その先にどう休養をとるかまで見越してやると、また元のリズムに戻ることができるでしょう。

「リズム」をつくりたがる、すなわちリズムが「一定」であることを重視したがるのはやはり、自分以外のもの、そう、「他者」が関わるものごとが増えるほどにそうなるのかもしれません。僕個人について考察したときでもやはり、10代・20代のときよりも「個人プレー」で済まされない事情の多い生活スタイルになっています。自分がリズムを乱すことで、他者に与える影響が少なからずある環境にいると、自分のライフスタイルは、おのずと「一定」「安定」のベクトルを帯びたデザインになるものです。

狙って「設計」をするのが「デザイン」だとしたら、おのずとそのようになったものはデザインとは言わないのかもしれません。川辺や川底に転がる、石ころ。あれらは、転がれば転がるほどに丸みを帯びていきます。平たくて丸いものをひとつ手にとって、なるべく川面がおだやかなところに向かって、投げてみる。チョン、、、チョン、、、チョン、、チョン、、チョン、チョン、チョ、チョ、チョ、チョ、チ、チ、チ、チ、チチチチ……ップリ。  「水切り」をしたときの石ころにも、独特のリズムがあります。だからなんだってことも、ないのですけれど。

まあるい石ころって、可愛いですよね。
歳を重ねた人の柔和さに「可愛さ」を覚えることがあります。川辺の石ころの丸いフォルムを指でなぞるときの感覚も、それに似ているように思います。

しっとりとした、吸い付くようななだらかな面。あたたかくもつめたくもなく。押しても押し返さないし、へこまない。

堅く、静か。

そんな、石ころみたいになりたい。