フライト&喝采

僕が高校生の時の話です。同じ学年のみんなと沖縄に向かう飛行機の中で、拍手が起きました。特別何かめでたいことがあったわけではありません。無事に飛行機が離陸した、というだけのことで拍手が起きたのでした。きっと、そのとき初めて飛行機に乗った人も多かったでしょう。「HR(ホームルーム)合宿」という名の付いたいわゆる「修学旅行」で、行き先へと向かう飛行機の中でした。みんな、気持ちが浮ついていたのだと思います。

小学生〜高校生くらいの頃までは、両親のお陰もあって、旅行で何度か飛行機に乗る機会がありました。それ以降は、まったく飛行機に乗っていません。あまり自ら旅行の機会をつくろうとする方でもないし、大学を卒業して以来、自転車で30分以上かかる場所に通勤した経験もないので、電車さえろくに乗らなくなりました。交通機関を利用することを積極的に避けているわけではありません。乗る理由があれば、電車にも乗りますし、きっとそれは飛行機でも同じです。

旅行は誰かに強いられてするものではないでしょうから、自分で機会をつくらなければなりません。僕は毎日のように、自宅から自転車でおよそ30分圏内の範囲に「旅行」を繰り返しているのかもしれません。頻繁に行くと、景色は見慣れてしまいます。「見過ごしている」といった方が正しいかもしれません。「風景」ならまだ良くて、目的のもの以外を「背景」とみなすようになってしまうと、どんなに旅行先が近かろうと遠かろうと、「点」と「点」のあいだを行き来しているようなものになってしまいます。「点」や「線」の動きをいくらしても、豊かな体験にはなりえません。どこに行くにしても、「面」や「立体」の動きで旅をしたいものです。

飛行機に乗ったり、遠くへ行くようなことを避けているわけではありません。近々、僕も飛行機に乗って旅にでも行こうかしら。きっと、楽しいだろうなと思います。あるいは、不便で楽しくない思いをするかもしれません。人生が料理だとしたら、旅行はスパイスみたいなものでしょうか。日常という具材を引き立て、風味豊かにしてくれるものなのだと思います。