夜の光量

2歳の息子を肩車して夜の歩道を歩いていた。空の星を見上げながら、息子がそれを数えて「ふたつ」だと言った。僕は「見えないだけでホントはもっとたくさんある」といったようなことを言って返した。

僕の住む地域は、都会と言うにはよくキャベツのとれる町である。生活は都市化されている方に入ると思うけれど、ここでいういわゆる都会、すなわち「都心」からは少し西にはずれたところにある。夜になってもそうそう真の暗闇に出合うことはない。街灯やらなんやらのあかりと、月のあかりも加わってか、だいたいいつもうすぼんやりとした、あちらこちらから漏れ出たデザインレスな光を乱反射したような、くすんだ色の空をしている。「都心」からの光も届いているかもしれない。

虫や花の体内時計や方向感覚なんかは、多分にそうした人間の放つデザインレスな光たちに狂わされているかもしれない。街灯にたくさんの蛾が集っている光景を目にしたことのある人は多いかと思う。あんな無機質な蛍光灯のもとに集って、なんの得があるのだろう。そんなことを思わなくもない。

そうした「街灯に集る蛾」という構図も、最近僕の住む地域ではあまり見かけなくなった。人の数が増えるのに反比例して、虫の数が減っているのかもしれない。この地域ほどに都市化されていない地方を訪れたときのほうが、そうした「街灯と蛾」の構図を見る機会がまだある。そういう場所にいけば、数え切れないほどある星を息子に見せてやれるんだけどなぁと思いながら、僕は「ふたつ」の星を見上げて、肩の上に乗せた息子の両脚を支えながら歩いた。

本当の暗闇なんてものを、僕は知らない。ずっとうすぼんやりとした光の中にいる。お願いしなくても、あちらこちらに乱反射してまわりこむ、光。自分に当たる光量をデザインする、という視点を持つのもいいかもしれない。