「鎖国」しました?

やってしまいました。夜ふかしを。眠くて疲れがとれていなくて、からだがつらいです。

きっともっと疲れているであろう人たちは、サッカーの日本代表の選手たちでしょう。世界的な強さの相手と90分間以上戦ったあとの感じって、どんなもんなんでしょう。ただテレビを観ているだけの人の何倍疲れるんでしょうか?  案外達人たちは、素人みたいに余計なエネルギーを遣わないのかもしれません。冷静に、もう次の試合のことを考えていたりするんでしょうか。

日本が1点差を追うかたちで迎えた最後の5分間ほどは、いくらパスを回しても陣形が崩れない様子をもどかしい気持ちで観ていました。相手からしたら、もうこの終了間際に冒険をする理由なんてなかったのでしょう。陣形を崩すためにパスを回していたというよりは、動かない相手を前にそうするしかなかったというような印象です。

相手があってのことって、相手に動く気がなければ、いくら他方があくせくがんばっても、全体を活発にすることは難しいのかもしれません。サッカーの試合の話から逸脱しますが、盛り上がりを見せているカルチャーだとかは、あらゆる立場の「よく動く人たち」があつまって場が形成されているように思います。みんな連れてこられたのではなくて、自分の意志でそこにいるのです。すてきなものに出合い、触れて、こころを動かそうという意志がある。お客さん、運営者、演者だとかが、「動こう、動かそう」というひとつの方向を向いている状態、とでもいえそうです。「お客さん」は「お客さん」といったような、特定の立場にしばられない「フェア感」みたいなものがあるようにも思います。自分も関わって、納得したかたちで進められるものごとに対しては、みな積極的なれることでしょう。

昨晩の試合の最後の5分間は、なんといいますか、ただ時間の消化を待っている人たちが、おおかれすくなかれフィールドの内外にいたんじゃないかと……祈るような気持ちとあきらめのはざまで、眠気でぐらぐらとからだを揺すってテレビの前にいたのでありました。