世界とじぶんの癒着点

毎日、お風呂に入るし、ごはんを食べるし、眠ります。でも、その通りのことだけを毎日、日記に書くわけにもいきません。いえ、もちろんそれでもいいんでしょうけれど、じぶん以外のだれかが見る可能性のあるものだったら、そうもいきません。


いつもどおりに「食う・寝る」とその前後をやっている、じぶんの反応やら変化だけで自発的になにかを書き続けるのは大変なことだと思います。ですから、外の世界(あるいは、じぶんが"世界の外側"かもしれませんが)から、毎日なにかを仕入れて来なけりゃなりません。そうして仕入れたり出逢ったなにかに触れて、じぶんはどう反応するのかというところが新たな材料になるのです。その材料をつかって、毎日なにかを書きたければ書けばいいし、別のなにかに取り組むのに用いてもいいわけです。


いつも似たようなものばかり仕入れてきたり、さがしに行ったりしていると、じぶんの「反応」もまた、似かよったものばかりになってしまいます。ですから、その仕入れる方法だとか、仕入れ先も、3回リピートする頃くらいまでには、また新たな工夫を要したり、がらりとやり方を変える必要がでてきます。それでまた新鮮さを取り戻したり、たのしみ続けられるでしょう。


場所や方法、そして一緒にたのしむ人をどんどん広げていけば、「世界の外側だったかもしれないじぶん」が、いつの間にか「じぶんも世界のなかにいるんだ」と感じられるようになるのかもしれません。毎日しこしことなにかを書き続けることが、「じぶんを世界にする」ことや、「世界をじぶんにする」ことのきっかけになる、かもしれないのです。



サッカーのベルギー戦は、胸がいっぱいになりました。日本代表、お疲れ様でした。