恐怖!寝ぐせEND

毎日、よく自転車に乗ります。自転車に乗ると、真っ向から風を受けるのです。風を受けるとどうなるかというと、髪の毛が舞い上がります。髪の毛が舞い上がったまま移動を続けると、その舞い上がったままの状態で髪の毛にくせがつきます。移動を終えて、もう風を受けていないのに髪の毛だけが風を受け続けているかのようなかたちになっているのは恥ずかしいので、髪の毛を手でなでつけたり、指でつまんでひねったりして、直そうとします。ぼくはほんとうはこんなへんな髪型じゃないのに……と、思っているみたいです。


ようは、見た目を気にしているのです。今以上に良くみられようとすることも、本来のじぶんより悪くみられないようにすることも、その点で大差ないのかもしれません。ぼくは、自転車に乗ってへんな髪型になったじぶんが、まるで本来のじぶんじゃないかのようにふるまおうとしていることに気付きます。ですが、そんなことで、本来のじぶんがどこかへ行ってしまうでしょうか?  決してそんなことはないはずです。


でも、髪に寝ぐせがついているのをわかったまんま、出かけるでしょうか?  気付いたとしたら、やっぱりぼくは直してしまうでしょう。水に濡らした手で、なでつけるとかして。


これが、2歳のうちの息子だったら、そのまま出かけていくでしょう。気付いていても気付いていなくても、「寝ぐせ=はずかしい」なんて等式は彼のあたまにはありません。


だれだって当然、だいたい毎日眠っているのですから、髪に寝ぐせがつくことは自然なことだといえます。食事をしてうんこをたれるのも自然なことです。でも、ぼくは寝ぐせを見つけて、それがへんだと思ったら直してしまうし、うんこを流さないでほったらかしにすることはありません。


寝ぐせとうんこではあまりに違うので、並列して挙げるのはおかしい気もします。うんこを流さなかったら、不衛生で実害をもたらすかもしれません。寝ぐせなんてかわいいものに思えます。


それでもやっぱり、寝ぐせがついた髪を直してしまう。これは一体、なんなんでしょうか。


寝る。床に押し付けられた状態のくせが髪につく。朝起きて、それに気付く。直す。


じぶんは細かい変化に気付ける人間ですよ、という内面の発現なのでしょうか。寝ぐせがついているのにも気付かずにそのまま出かけてしまったら、「この人は寝ぐせを直せない(寝ぐせに気付けない)人なんだな」と、まわりの人に思われてしまうかもしれません。


でも、だからなんなんでしょう。寝ぐせなんかついていてもいなくても、もっと大事なことがいくらでもあるような気もします。


この問題はそれくらい、どっちでもいいような軽微な問題のようでいて、ぼくたちに支配的な価値観を植えつける大きな社会の存在を示唆するようなおそろしい問題かのような気さえします。


ああ、よくわからない。

寝ぐせって、おそろしい!