孤独な個人。社会的な集団。

ベッタリくっついて離れない、かたときも視線をそらさない……となると、これはもう「監視」なのかもしれません。まっとうな……といいますか、通常の人間関係とは違うような気がします。一方的で、かつ特殊な状態といえそうです。

うちには2歳の息子がおります。家で放っておくと、彼は床面いっぱいにさまざまなおもちゃを並べて遊んでいます。たまにそれらの中のひとつを持ち上げて、こちらに向かってなにか話しかけてくることがあります。そうしたときに、僕はかまうことにしています。少しするとまた注意が別のことにそれるので、そうすると僕は自席にもどり、こちらはこちらでもとやっていたことにまた取り組み始めます。ひとつのおなじ空間のなかにいて、それぞれべつのことをして遊んでいる。そんな構図です。

親と子どもの関係でなくても、ちょうどよい距離感というのはいろんな関係において共通するものがあるのかもしれません。ずーっとずっと、四六時中見ているわけでない。だけれど、お互いの動きは、目を向けようと思えばそのときに、なんとなく目に入る。そんな距離感です。同じ家に寝起きする関係というのは限定的なものでしょうけれど、友人にしたって、お互いがコミュニケーションをとろうとしたときにつながれる、目に見えていなくてもたまに思い出すといったことが、精神的に「目を向けようと思えばそのときに、なんとなく目に入る」関係なのだといえるのかもしれません。

たいていなにか人間関係におけるトラブルや困りごとがあるときは、この距離感が破られているのではないでしょうか。そう思って自分の身のまわりの人間関係を見まわすと、案外自分は適正な関係を築けている方なのかもしれないと思います。

孤独な個人。社会的な集団。そのはざまのちょうどいいところに自分の身をおくバランス感覚を、親は子に身をもって示さないとならないのでしょう。そのバランスの狂いは、きっと本人のもとに返ってくるでしょうから……。