我が家にはびこる「外来種」

購入して、中身を1行も読まずにいる本というのはなかなかないのですが、最初の方を読んだだけだとか、途中までで読みかけの本というのが僕のうちにもたくさんあります。

なにかこう、興味関心の範疇には引っかかって購入したのだけれど、生活サイクルの中に割り込ませてまでなかなか手が伸びないというのが、それらの読み切られない本と僕との関係といえましょうか。

これは特に今の時期の僕がぜひ読むべきだ、とか思って買った本ほど、読み切っていなかったり、忘れていたりします。

そう思うと、持ち主の生活サイクルに割り込んで手に取らせ、時間を割かせて読み切らせる本というのは、なにか特別な力でも備わっているんじゃないかという気がしてきます。

僕はわりと頻繁に本屋さんへ出向く方だと自認していますが、出会って実際に短期間で読み切ってしまうなんて本に出会うことは、ここ最近では少なくなりました。

個人的な話になりますが、うちには2歳の息子がおります。彼がうちにやってきてからというもの、時間を気にせず、明日を気にせず、読書に没頭する機会は減ったと思います。

大学生の頃だとか、大学を卒業して結婚するまでの数年間は、徹夜して本を一気に読み終えるなんてことも、しばしばありました。小説、とくにミステリーが好きで、たくさん読みました。続きが気になってやめられなくなるものに、当時たくさん出会ったと思います。

最近の僕が読む本として、「小説(つくり話)」と「それ以外」の本の割合が、かつて(大学卒業後数年くらいまで)とは逆転しました。小説以外のものを読むことが増えました。結婚、出産、転職などと、自分の生活環境の変化がそのまま興味関心に影響していることに気づきます。

近年僕が従事している仕事は、社会教育関連のものです。「社会」がテーマとなると、とにかくもうあらゆる分野が対象となりうるわけで、あれもこれも気になってしかたがないのです。そうやってあちこちへ伸ばした手が引っつかんできたいろいろの本たちが、我が家のいたるところに溜まっていくのです。

あちこちに本がある家で生活するというのはなかなか愉快で、「本屋で気になって、手に取った本を数十秒間眺めては、回遊していく」……というような読み方が、家の中でもできてしまいます。リビングの壁だとか、トイレの棚だとか、近年の我が家では本の分布が広範囲に及びました。外来種は、適応力が高いのです。