逆立ちすれば、努力もヒゲになる

国を代表するサッカーチームを率いるともなれば、あらゆるメディアがあらゆる種類の批判を浴びせてくることでしょう。そうした批判を浴びつつも、決してネガティヴになったり絶望したりすることなく、目標を見据えてやるべきことを考え、実践していくことで今回のワールドカップにおける結果を出したチームが、きっといくつもあることと思います。


僕は、普段いかなるメディアの目にとまることもなく批判を浴びるようなこともない立場でいながら、そんな自分も含めてなにかと律儀にネガティヴになってしまいがちです。


そうした自分を変えたいと思うので、毎日気づいたことや考えたことですぐに実践できそうなものから取り入れることで、実際に変わっていく自分を実感することもあります。


一方でなかなか変えられずにいることは、すぐれた実践や取り組みによって一定以上の結果を出したとされるような紹介をされている人たちをメディアで知るたびに、「うわ、僕とはおおちがいだ」「いいなあ、すごいなあ」「それにくらべて僕は……」と、律儀にいちいち自分を卑下し、ネガティヴになってしまうことなのです。


あれ、これって結局、自分を変えられていないんじゃないか?  ……と。毎日のなかで気づいた「すぐ実践できそうなこと」くらいじゃ、そのときだけはちょっと変われたような気分になったとしても、結局根本が変われていないのかもしれません。


実は変われないことが問題なのではなく、そうした自分を僕はまだ本当の意味で受け入れ、認めることができていないのかもしれません。


いちいちなにかと律儀にネガティヴに立ち返ってしまうのは、「僕はまだまだこんなもんじゃない」「いまの自分が本当の姿じゃない」などと、ありのままの自分を受け入れることに抗っているんじゃないかと思うのです。


自分の現状を知り、目標を見据えてそれに向かって的確に行動できる人は、まるで僕とは正反対のポジティブな循環の中にいるかのようです。ここで思うのは、循環する機構というのは、たとえポジティブであろうとネガティヴであろうと、とてもよく似ているのではないか?  ということです。


落ちていくを水をみるとき、自分が逆立ちしてみれば、水はさも天に向かって昇っていくかのように見えるでしょう。僕は実は、自分の努力によって吹き上げ、重力に逆らって昇っていく水を、わざわざ逆立ちして見ているようなものなのかもしれません。がんばって日々なにかをしようとしているのに、それを指して「水が落ちていってる」かのように、わざわざ自分を逆さまにして思い込んでいるのかもしれません。


だとしたら、そんな逆立ちはいつでもやめられるし、やめればもっと楽になれるはずです。楽になることで、今まで以上になにかに取り組めるかもしれません。


そのネガティヴは、ポジティヴかもしれません。自分をひっくり返しさせすれば……いえ、「無意味に自分をひっくり返すこと」を、やめさえすれば!


「なぜネガティヴにならなければいけないのか?」


ぜひ、心に持っておきたいおまじないです。