しがない、詩がある。

どんなものがいまもむかしも変わらずに存在しているか……という話になると、トコトン人間に近いもの、いえ、それはあたりまえかもしれませんが、人間の生活、生命の保持に大きく関わるもの……となっていくでしょうか。

一方で、精神的な活動の記録みたいなものもやっぱり昔からあるわけで、1000年前の人も、詩をつくってよんだり画を描いたりしていたんですよね。

詩や画なんてものが現在のように、インターネット上で発信されてやりとりされるなんてことは1000年前の人が思ったかどうか知りませんが、そんなことに関わらず詩や絵画の類いは昔からあったわけですよね。

ぼくは、つくづく先のことにうとい自分を自覚しています。いえ、先のことなんて本当はだれにもわからないでしょう。もう少し精確につきつめていいますと、新しく出てきたばかりのものに、逐一懐疑的なのです。これはすごい技術だ、未来のスタンダードになること間違いないだろう!  なんてふれこみとともに紹介される新しいものがあったとしても、すぐに現段階での問題点やリスクや課題やらを見繕い、緊急の必要性のないことを確かめたうえで、様子見と決めこむわけです。そうして、いままでどおりに、詩やら画やらのものづくりの類に時間を費やしては、なるべくおいしくなるように食事をつくり、なるべく努めて丁寧にお風呂に入り、なるべく心静かに眠りにつく……なんて生活をひたすら続けているのです。

そんなぼくも、なんだかんだスマートフォンをつかいはじめて5年半くらい経つようです。もっと前の段階で、コレはこれからの未来のスタンダードになる!  と予知して早々とスマホをつかいはじめた人のなかに、その分野でせっせとなにかを起こしたりやりはじめた人がいかに現在ぼくの手の届かないような雲の上の人物になっているかどうか知りませんが、ぼくは生まれて物心ついてからというものの、ピアノを弾いたり歌ったりだとかして、何者にもなることなく、きょうも食事をし、お風呂に入って眠りについているのです。

たぶんそのどれも、1000年前の人もそうしたように。(ピアノの歴史はまだ1000年に足りませんが……)